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【歴史・時代小説】『縁切寺御始末書』 その四 おみねの一件始末 2

 再びの江戸であった。

 二度目ということで慣れもあるし、新兵衛もいるので道に迷うこともなかった。はずだが、奉行所についたときには、すでに暮れかかっていた。

 対応に出た藤田孝三郎が、

「随分遅かったですな」

 と尋ねると、

「いや、久しぶりの江戸で迷ってしまいまして」

 と、新兵衛は笑いながら答えた。

 何のことはない、新兵衛が前日の宿で深酒をしてしまい、昼近くまで二日酔いで参っていただけである。

「御手洗さまは、もう下がられましたか」

「ええ、とっくに」

「それは残念。御挨拶がてら、一杯と思ったんですが」

 この人、まだ飲むのかと呆れた。

 旅装を解いたあと、孝三郎と若干の打ち合わせを行った。

 惣太郎は、新兵衛と孝三郎の話を傍らで聞いているだけだったが、将軍さまに拝謁するまで色々なところに挨拶に行き、また様々な規則に乗っ取って行われるため、大変な労力を要するのだと知って、眩暈がしそうだった。

「真実(まこと)に大変そうですね。これをひとりでやるんですよね」

「まあ、寺社方のお力も借りしてですが、殆ど1人ですね。ですが、これはまだまだ楽なほうですよ。将軍さまがお亡くなりになったときは、もっと大変で」と、新兵衛は苦笑いする。

「ああ、あのときは大変でしたね」と、孝三郎も笑った。

「ほら、うちの寺はなにせ、将軍さまのお位牌を頂いておりますので……」

 将軍が亡くなると、位牌を安置したい旨の願書(ねがいがき)を寺社奉行に提出する。もちろん、誤字脱字は許されないし、それ相応の格式ある文章でなければならない。先の例に倣って書くが、大抵は何度かつき返される。

「あのときは、五度つき返されました」

 寺社奉行から許可がおりれば、位牌への彫刻料やそれを運ぶための費用を貰い受けることになる。

「が、これが大変で、この前なんて、願書(ねがいがき)を出してから、金を受け取るまで優に6ヶ月はかかりましたよ。その間、色んなお役所を回って、そりゃ大変でした」

「しかし磯野殿は、十分江戸を楽しんでおられたみたいですが」

「いや、あはははは、まあ、楽しませてもらいました」

 何が可笑しいのか、新兵衛と孝三郎は爆笑した。

 打ち合わせが終わって、孝三郎が立ち去ろうとしたとき、惣太郎は尋ねた。

「最近の板橋の状況はどうなっていますでしょうか」

「板橋ですか」、突拍子もない質問に、孝三郎はしばし戸惑っていたようだが、ようやく意味が分かったとみて、「ああ、板橋ですね。随分変わったようですよ」

 孝三郎の話では、おはまの亭主であり、あの一帯を取り仕切っていた政吉が失踪してから、その子分のひとりが代わって仕切りだしたそうだ。

「こいつが北町から十手をもらい、目上のたんこぶがいなくなったのをいいことに、あの界隈を肩で風を切って歩き回っているみたいですよ。政吉の妾だった女も、そのまま引き継いだとか」

「北町というと、大澤とかいう同心ですか」

 孝三郎は、そうだと頷いた。

「政吉の一件で謹慎していたのですが、霜月の終わりごろに謹慎もとれて、また板橋のあたりを受け持っているらしいですな」

 また厄介なことにならねばいいのだがと、惣太郎は思った。

「何か、板橋に用事でも」

「はい、いま一件、駆け込みを抱えておりまして、おみねという女なんですが……」

 秋のはじめに駆け込んできて、すでに師走。これといった進展がない。

 おみねの関係者として、大家の権兵衛と組頭の七郎を呼んで説得に当たらせていたのだが、全く駄目だった。

「その女の意志、相当固いというわけですな」

「いや、それもあるのですが、どうもそれだけではないようで……」

 普通なら、朝早くからやってきて、夕方近くまで説得をするのだが、この権兵衛と七郎、昼頃悠々とやってきて、ほんの半時居たかと思うと、ふいっと宿へと引き上げてしまう。

「もう説得を諦めたのではないですか」

「しかし、取調べのときは、亭主の寅吉が涙ながらに詫びるのでと、あれほど雄弁に語っていたいたのに、いざ説得となると、このありさまですからね。それで、中村さまが調べさせたのです」

 ふたりが泊まっている宿の主を呼び、様子を問いただした。

 すると何と、ふたりとも毎晩のように酒盛りをしているという。酒代はきちんと払ってくれるので、その点は問題ないが、宿の主人も寺役から御用を預かっている手前、説得もせずに酒ばかり飲まれていても困る。

 宿の主人は、ときとして関係者の間に入って、仲裁を行ったり、夫に三行半を書かせるよう説得したりと、寺役を助ける任も請け負う。

 その目の前で、毎晩遅くまで酒を飲み、昼近くまで寝ていられては、寺役に顔向けができない。

 何度か注意したのだが、一向にきかないという。

「仕方なく、中村さま直々に注意されたのです。すると相手は、酒を飲んでいたのは、おみねを説得できないことからくる苛立ちのためで、ついつい手を出してしまった、以後は慎むと言います。まあ、それを信用していたのですが……」

 数日後、宿の主がやってきて、また飲んでいるという。

「それは癖になっておるな」

 と、新兵衛は笑った。

「ええ、そうなんです。中村さまもそうおっしゃいました。ですが、それは可笑しすぎるともおっしゃっております」

「なぜです。酒飲みなら、毎晩飲んでも可笑しくはないと思いますが」と、孝三郎は首を捻る。

「確かにそうです。ですが、大家や組頭が、そう毎晩酒を飲みますか。我々でさえ、ほんの祝い時とか、今日はちょっと憂さ晴らしにといったときでしょう。しかも、店子の見本にならなければならない大家や組頭が、翌日二日酔いになるまで飲むでしょうか。そんな大家や組頭は、名主や家持(いえもち)からも疑惑の目を向けられると、中村さまはおっしゃるんです」

「それは、江戸を離れて羽目を外しているのではないですか」

「しかし、将軍さまの所縁の地であることは、知っているはずですから、よくない行いをすれば、それが回りまわって、町年寄や名主の耳に届くことも考えられそうな気もしますが」

「まあ、そう言われれば、そうですな」

「あと中村さまは、よくまあ、あれだけ毎晩飲み続けらるほど金が続くものだと、驚いておられます。幾ら、大家としての役得があるからといっても、宿代もあるわけですし、その上、酒代ですか。それに、大家といっても、受け持っているのはなめくじ長屋、あまり人も住んでいる様子はないのです」

「それは実に怪しいですな」

「ええ、怪しいのはまだあります。亭主の寅吉なのですが……」

 惣太郎は、以前板橋の長屋であったことを話した。

「その亭主と名乗った男も怪しいですが、長屋にいた男も怪しすぎます。これは、〝お声掛り〟にする前に、しっかりと調べたほうが良さそうですな。でなければ、また御手洗さまがこれですから」

 孝三郎は、両人差し指を額の前に出し、突き出す仕草を見せた。

「はい、ですから、お役旁(かたがた)、そちらの調べもしたいと思っているのですが」

「大丈夫、こっちは拙者に任せておいてください」

 新兵衛は胸を張り、どんと叩く。そして、自分で咽ている。

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