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【歴史・時代小説】『縁切寺御始末書』 その三 おりつの一件始末 8

「おぬしの家の事情はよく分かった。が、だからと言って、おりつの決心を変えられまい」

「はあ、その通りでして」、伝兵衛は弱ったというふうに口を開く、「実は、金の件をおりつに言いましたら、では、女郎でもなんでもやって、あたしがお金を作るからと言いますもので、それで勝五郎さんがまた怒ってしまって」

「うむ、よほど決心は固いとみえる。となると、やはり離縁させるのが一番と考えるが……、もちろん、金の一件が問題だ。どうであろう、おくまと話し合って、金の件は取り消してもらうことはできまいか」

「う~~ん、それはどうでしょう」と、伝兵衛は首を傾げる。

「そんなに頑固というか、偏屈者か」

「そりゃもう。正直、おりつはよく耐えたと思うほどで。先代の甚左衛門さんは、これが男かと思うほど大人しい人で、まあ、婿養子ということもあったんで、おくまさには頭が上がらなかったんでしょうが、尻に敷かれっぱなしでしたね。息子のほうも親父さんの血を引いてか、大人しい男でして、お袋さんには頭が上がらないんですよ。名主のお役目も、おくまさんが差配しているぐらいですから」

 なるほど、男の伝兵衛でもへきへきしているぐらいだから、女のおりつが家を飛び出すもの頷けた。

 相当手強そうだ。

 若造の自分に、おくまを説得できるのかと惣太郎は心配になった。

 どうするのだろうと惣太郎は、清次郎を見た。

 彼は、惣太郎の心を読みとってか、

「誰か、おくまに強く言えるやつはいなのか」

 と、尋ねた。

「だったら、隣村の伊之助ぐらいだな」と、勝五郎が呟くと、伝兵衛も、「そうです、伊之助さんがいるじゃないですか」と、手を叩いた。

「伊之助さんというのは、先代の甚左衛門さんと懇意にしていて、先代の葬式から息子の名主襲名まで、何かと面倒を見てあげていたんですよ。おくまさんも、伊之助さんには一目を置いております。彼に仲立ちしてもらいましょう」

「ということです、立木殿」

 惣太郎は、清次郎に頭を下げた。

 矢張り持つべきものは、頼りになる先輩である。

「ありがとうございました、中村さま。もしあのとき止めていただかなかったら……」

 調所を出て、惣太郎は清次郎に頭を下げた。

 結局、取調べから以後の調整まで、全て清次郎がやってくれた、まだまだ未熟者だ。

「かっとなるのは、あまりいけませんよ。こちらは、あくまで取調べる立場なのですから、静かな心でお役目を果たさないと」

「はい、申しわけありません。矢張り、私はこの役目に向いていないのでしょう」

「まだ始まったばかりではないですか。答えを出すのは早すぎますよ。それより、隣村の名主宛に、書状を出しましょう」

 惣太郎は、伊之助あてに、金の件は取り消しにするよう仲立ち頼むと書状を認(したた)め、伝兵衛に持たせて送り出した。

 これで、おくまがうんと頷けば、事は丸くおさまるのだが、果たして上手くいくだろうか。

 しかし、よくよく考えてみれば、息子がおりつと離縁したほうが、おくまには都合がいいはずだ。新しい嫁を迎えて、それに子ができれば万々歳。金は返ってこないが、それだけの見返りはあるはず。

 案外、この一件は上手くいくのではないかと思えてきた。

 ひとり笑みを零しながら、役所に戻ろうとすると、ふと門の脇で、嘉平が女と話しているのが目に付いた。

 女が、何やら嘉平に手渡している。

 嘉平は、困ったような顔つきで、それを受け取る。

 はて、あの女、確か、磯野さまと一緒にいた女では……と思って見ていると、女は立ち去り、嘉平は薄くなった頭を掻きながら、こちらにやってきた。

「嘉平、いまの女は何用だ。駆け込みか」

 と、問うと、嘉平は慌てたように首を振り、手にしていた物を急いで懐に仕舞い込んだ。一瞬だったが、それが文だと分かった。

「いえ、何もございません。本当に、何も」

 明らかな動揺を見せながら、役宅のほうへと走っていった。

 あの女、いったい何者であろうか。新兵衛と係わりのある女ということは分かっているが、寺まで押しかけてくるとは尋常ではない。

「矢張り磯野さまの……」

「磯野さまが、どうかなさいましか」

 声をかけられ、慌てて振り返ると、見知った顔だった。

「母上でしたか、驚かせないでください」

「何が驚かせないくださいですか。驚くのはこっちですよ、惣太郎」

 妙に怒っている。何かしただろうか。

「何かありましたか、母上」

「あなた、由利さまに、お子がいない女の心持ちについて尋ねたそうですね」

 母は両目を吊り上げて睨みつけてくる。が、布袋さまなので、然程怖くはない。

「それを誰から? もしかして、由利殿ですか」

「そんなことはどうでもいいのです、あたしは本当に尋ねたのかと訊いているのです」

「はい、訊きましたが、何か」

 母は重たいため息をつき、頭痛でもするのか頭を抱えた。

「あなたって人は、本当にもう! お子がない女の人に、そんなことを訊いて恥ずかしいとは思いませんか」

「はあ、不躾な問いかなとは思いましたが、矢張りこういうことは訊かないと分かりませんので」

「あなた、それを尋ねられた由利さまが、どれほどお心を傷つけられたのか、分かりませんか」

「えっ、由利殿、何か言われてましたか。私には、気にしてないとおっしゃいましたが」

「それを真に受けたのですか」

 頷くと、母は、

「あなたって人は、なんて馬鹿でしょう」

 と、強い口調で言った。

 母にそこまで言われたことがなかったので、正直驚いた。

「それは、あなたに心配かけまいとしたからです。本当は、心の中で泣いておられたんですよ」

「そ、そうだったんですか。由利殿が、そんなことを?」

「訊かなくても、分かるじゃありませんか。そのぐらい分からなくて、縁切寺の役人なんて、できませんよ」

「す、すみません。では、由利殿に謝ってきます」

「もういいです。由利さまには、私のほうから謝っておきましたので。あなた、これ以上この一件で、由利さまを傷つけないようにしなさい。分かりましたね」

 惣太郎は、分かりましたと頭を下げ、母の後姿を見送った。

 矢張りこの仕事………………向いていないのかもしれない。

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