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批評・評論

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僕が書いた批評・評論・雑文のまとめです。
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2024年2月の記事一覧

もしも僕が「あのお方」だったら

もしも僕が「あのお方」だったら

※全文無料でお読み頂けます

 最初、「もしも僕が南洲翁だったら」という題にする予定だった。傲岸不遜にも程がある。世が世なら右翼の方に軽く嗜められることもあるのかもしれない。ただ僕は、「お茶代」の「もしもわたしが◯◯だったら」という課題を目にした時、思わず翁のことを想起せずにはいられなかった。

 なぜあの時あの状況で、立ち上がらなくてはならなかったのか。西南戦争へ至る翁の思考を完璧に説明できる人

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ホイジンガの「遊び」と神道における祭り

ホイジンガの「遊び」と神道における祭り

 ホイジンガのいう「遊び」はエリアーデが論じるような「永遠回帰」ではない。本来性は志向されておらず、「そこから一歩踏み出し」た、「仮構の世界」と戯れるのである。ホイジンガは祭礼もまた、「遊び」の一種として論じているが、僕はここに、神道における祭りの精神と似通ったものを発見するのである。

 もちろん上田賢治が述べるように、ホイジンガの概念を無批判に取り入れることはあってはならず、警戒を要する。ホイ

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J-Popまもるくんの萌芽——「守るべきもの・守られるべきもの」序説

J-Popまもるくんの萌芽——「守るべきもの・守られるべきもの」序説

※全文無料でお読みいただけます

 「俺がお前を守るから」。これまでのJ-Popにおいて、少しずつ形を変えながら繰り返し歌われてきた、男女の親密性についての価値観が伺われる表現だ。その親密性の正体について考えるならばおのずと、「何から守るのか」という問いが生まれてくるに違いない。本論考は「敵」が残した歌詞という足跡からその容貌・正体へ近づいていく、探偵の試みである。

分析の方法論 人々の集合的な

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インテリと精神分析——ロマン派芸術批評と自由連想法

インテリと精神分析——ロマン派芸術批評と自由連想法


フランス革命とロマン派 中山元「フロイト入門」で指摘されているが、精神分析は、フランス革命に対する反動としてのロマン派の系譜に位置づけることができる。

 なぜ自分たちはあのような狂熱にいかれてしまったのか。
 なぜ自分たちはあの時、暴力と破壊にとり憑かれてしまったのか。
 なぜ自分たちは国王を殺めてしまったのか。

 何かを選ぶということはすなわち、何かを捨てるということ。そこに進歩などあろう

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nyunさんの「剰余価値(Mehrwert)周辺の話、その2」を読んで

nyunさんの「剰余価値(Mehrwert)周辺の話、その2」を読んで

nyunさんによれば「利潤」は「剰余価値」の現れ方の一つ。
ディルクの「剰余労働」概念をマルクスは『剰余価値学説史』で批評し、発展させたものが「剰余価値」だという。



ポスト構造主義のエクリチュールについての議論と重なる。
資本に対応するのがテクスト、労働に対応するのはエクリチュール?
このあたりは詳しく掘り下げていきたい。

追記、真の「富」について

以前より考えていたことだがここにま

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ブランキと「ONE PIECE FILM RED」

ブランキと「ONE PIECE FILM RED」

※この記事を公開後、千坂先生からブランキはユンガー、ハイデガーはサン・シモンに対応させるのが適切なのではというご指摘をいただきましたことを、この場をお借りして報告させていただきます。

 笠井潔氏や千坂恭二氏(そして外山恒一氏?)の好んで使われる言葉に、ブランキの「革命は彼方より電撃的に到来する」というものがある。
 「革命家」はいわば「革命」を祀る神主のようなものだが、いわゆる神懸りのようなもの

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火野佑亮トリセツ 自分の障害を面白がる

火野佑亮トリセツ 自分の障害を面白がる

※無料で全文お読みいただけます

視られることが大事

 一月、東京へ行ってきた。色々な方々と様々な話をして、時にアドバイスをもらったりもした。その結果浮かび上がってきたのは、自分は他者と比べ、何かが決定的に欠けているという事実だった。

 人は他者の眼差しを介することでしか己を発見できない。これは世の常だ。自分が知りえぬ自分、つまり無意識としての自分がいるという前提をひとまず置いておき、自己同一

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