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思い出が形を変えていく夏のレトロスペクト

最近、懐かしい人や思い出深い人に再会する機会がたまたま重なった。

昔よく一緒に飲んでいた人にばったり会ったり、遠くに引っ越してしまった友達や自国に帰ったシェアメイトが東京に来る際に連絡をくれたり。
私も仕事終わりにいたエリアで「そういえばあの子、確かこの辺に住んでるんだっけ」とふと思い出して連絡をしてみたり。
ずっと会おう会おうと連絡と取り合っていたわけでもなく、今までそこに足を運んだ時にも思い出すことはなかったのに、なぜかふいにそう思ったのだ。


大体久しぶりの人と会う時って、(ノープランな私を含め)みんな直近になってから連絡をするので「うわーその日は難しいや…ごめんね、またー!」なんてことにもなりがちなのだが、最近連続発生したそれは、不思議とタイミングがマッチしてさまざまな「久しぶり」の顔を見ることができた。

ただ偶然が重なっただけのような気もするけど、私はなんとなく「これは、そういうターンなのかもしれないな」と感じた。
というのは、再会した彼/彼女たちが、関係やつながりはそれぞれバラバラなのに、私の人生の中のある一定時期に出会った人にたまたま集中していたからだ。まるで「今月は○年前の思い出総集編だよ!」みたいな感覚。


思い返してみると、あの頃はシェアハウスに住んでいたこともあって毎日誰かしらと会話を交わしていたし、彼氏もいたし、色々な場所に出歩いたりもして、とにかく人と関わることが多い時期だったようにも思う。
もちろん今でも飲み歩いていたりしているし、家に引きこもっているわけでもないのだが、あの時ほど人との関わりが濃いかと言うと今は少し変わったかもしれない。

そして、そんな久しぶりに会った彼らと私は、今回の再会でそれぞれ新たな関係性を築けたような気がした。どの人とも、懐かしい思い出話をしながらも違う形の何かになっていくような感覚を覚えたのだ。


人生の中で、本当に縁のある人とはまた必ず繋がるというような言葉も聞いたことがあるけれど、これはそういうことなんだろうかなんて考える。
偶然のような、必然のような再会。
これは私にとってどんな縁で、どんな風に繋がっていくのだろう。
それはまだわからないけれど、もし本当にそうなのだとしたらきっとこれからも自ずとその関係は続いていくはずで、それならば、私がどんな選択をしたとしても然るべきところに繋がっていくのだろう。

久しぶりに会った人の中には、当時理由があって会わなくなった人もいたし、なかなかタイミングが合わないねと言っているうちにいつの間にか疎遠になってしまった人もいた。だからこそ、何気ないきっかけで再び会えたことが「今その時が来た、それまではまだその時ではなかったのだ」と感じた。


結構頭でぐるぐると考えてしまうことも多い私だけど、いい意味でそれをちょっと手放せるような、手放しても大丈夫だと思えるような出来事だった。
何も考えずにただ流れに身を任せてみることが、これまではどこかでよくないことのように思っていたし、ある意味怖がっていたようにも思う。

もう少し気楽に気持ちの向くままに過ごしても、いやそう過ごした方が自分の居心地のいい場所に自然とおさまっていくのかもしれない。

あの頃の夏と同じように、今年も暑い暑い夏がやってくる。

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