暖炉の前の老人と私 〜偉い人について〜
「おじいさん、人っていつから偉くなると思いますか?」
「ほぅ。面白そうな話だね。どういうことだろう。」
段々と暖かい日が続くようになってきたが、夜はまだ冷える。
普段より小さな灯火ながらも今日も老人は暖炉に火を入れ、いつものようにその前に置かれた木肘の椅子に座っている。
それが日課であり、老人の生命であるかのように火はゆらゆらと揺れる。
「今日、なんだかとっても偉そうな人に会って。その人が50代くらいだったんですね。まぁ何歳でも偉そうな人はいると思うんですけど。」
「ふんふん。それで君は、それには年齢が関係しているのではと考えているということかな?」
「考えていると言うか...たまたま今日会った人が、なんていうんでしょうか。おじさん特有の偉そうな感じだったので。この人は若い頃から偉そうなのか、そうじゃなくてだんだん偉そうになったんだとしたら、人は何歳くらいから偉そうになるんだろう、なんて思っていたんです。私も年を取ったらそうなるのかなぁって。」
「なるほどねぇ。確かに君が言うように、若い頃から横柄な態度の人間もいるだろうし、やはりある程度年齢を重ねて、社会的にもいい地位になってそうなる人もいるだろう。上もいなくなって咎められることも少なくなり、持ち上げられることも増えるだろうから、それでいつの間にか態度が大きくなるという場合もあるだろうね」
「なるほど。社会と自分の関わり方によって、立場が上がったり自信がついたらそうなるということですね」
「または時として、自信がないからそのように振る舞うという人もいるだろうね。」
「自信がないのに大きい態度を取るんですか?」
「自信がないからこそ、さ。自信がないことを周りに気づかれないようにそう振る舞ったり、自分の中だけでは補えない自信を、表に出して周りに伝えることによって確かめたり、安心したりしていることもある」
「おじいさんも、それくらいの年齢の時はそうだったりしたんですか?」
「私?どうだろうなぁ。そうだったかもしれないね」
「でも、おじいさんは私とこんなに年も離れているのに、私に対して偉そうになんて全然しないですよね。」
「そりゃあそうさ。」
「それはどうしてですか?」
「学ぶことはまだまだ多い。偉そうなことなんて、私には何も言えないよ。だって私はまだ人間を全うする途中なのだから。何もわかっていないようなものだ」
なるほど...と思いながらも、人間の途中、いや結構終盤なのでは...?なんて失礼なことを思った私。
「ん?何を考えているのかな?」
全てを見透かしたように、珍しく薄目を開け、老人は鋭い眼差しでこちらを見た。
「いえ...なんでもありません。」
人間の途中のうちは偉そうに語ることなどできないという老人の言葉に、確かに、と共感するとともに、なかなかそんな風に考えている人も少ないのではないだろうか、と思ったり、全うし終わったらもうその時は語れないのでは?なんて思った私だった。
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