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ヒミツキチ×哲学

こんにちは!ヒミツキチ森学園です。

私は子どもたちとよく、授業で"哲学する"時間を過ごしているのですが、これを話すと大体驚かれるか不思議そうな顔をされます。

それはきっとその人の中に、哲学=難しい、何だかよく分からないというイメージがあるのだろうと思いますが、実は哲学は日常の中にこそごろごろ転がっています。


哲学とは「本質を捉える」こと。


なんで学校に行くんだろう?
なんで勉強するんだろう?
遊ぶと学ぶの違いってなんだろう?
なんで皆同じ教科書なんだろう?
そもそも何のための教科書なんだろう?
なんのためにテストってあるんだろう?

子どものとき、ふと疑問に思ったことありませんか?
私はいつも母親にこれらを質問攻めにしていた記憶があります(笑)

これも実は全部哲学です。

哲学は、決して難しい議題について思案をめぐらして正解を探すことではなく、たくさんの問いを投げて考え、自分の心と物事がしっくりくる場所を探す行為に近いかもしれない。

そして哲学のすごいところは、本質にアクセスするので、目に見えている問題やモヤモヤを根本から切り拓いてしまう力があるということ。

例えば、
私の生徒に算数が大っ嫌いな男の子がいるのですが、前に彼と一緒に哲学をした時のこと。(交互に問いを投げているというよりも同発的に問いが生まれています)


なんで勉強ってあるんだろう?
(学校の勉強がぜんぶポケモンだったらいいのになぁ..)

大人になって困らないためかなぁ?

大人になって困ることってなんだろう?どんな勉強してたら困らないんだろう?

仕事でさんすう出来ないと困るからかなぁ?
文字も書けないと困る。
でも算数は見るのも嫌なのにポケモンに出てくるレベルとかの数字は見るの楽しいのはなんでだろう?

そもそもポケモンを覚えることは勉強じゃないのかな?

ポケモンで算数とか文字覚えたらそれって勉強になるのかな?

そもそも覚えなきゃいけないこと、覚えなくていいことって誰が決めてるんだろう?

誰かに決められることって窮屈だなぁ..(←ここ大事)
もし勉強をぜんぶ自分で決められるなら?

ポケモンのレベル使って足し算とか引き算やる!
自分で決めるのがいいから自分が決めたやつをやってみる!(←ここ大事)

今やってみよう!!

の流れになりました。


これは"哲学する"ことを通して、
彼が算数=嫌い、ではなく、誰かに決められること=嫌い、を発見した瞬間です。

私は誘導することはせず、一緒になんでだろう?◯◯かなぁ?と一緒になって問いをなげていただけ。リアクションはほぼ「へーなるほどね!」です(笑)


この「そもそも」を掘って掘ってさらに掘っていくと、最終的にその物事の本質に行きつきます。


私たちヒミツキチ森学園は、日常の中にこの"哲学する"時間をおきたいなと考えています。
誰かが決めた正解や、一般的な常識を知ることはとても大切。でも何も考えずに全部飲み込んでしまうのは少し危険。

私の生徒はなぜか、「なんで1+1は2なんだろう!誰が決めたんだ!」と言い出し始める確率がとても高いのですが(笑)、

問いを投げ、考えてみて、対話をする。
対話の中でまた自分の輪郭を知り、また問いを投げる。自分のどまんなかに本質を捉える目をもつイメージですね。


机上でうーんうーんと難しい顔をして"哲学する"のではなく、
時にそれは草の上かもしれないし、ゲームをしながらかもしれないし、みんなで大きな一枚の絵を描きながらかもしれない。

息をするように哲学する、豊かでカラフルな時間が流れたらいいな、と。


私たちヒミツキチ森学園は、2020年の開校を予定していますが、開校前にもこの哲学のプロセスを体感して欲しいし、入学の有無に限らずたくさんの人たちに体感して日常に持ち帰ってほしい。

そんな想いから、2つ目の毎月の定期イベントとしてようやくこちらが完成しました。
やっとやっと、発表できる!

お申し込みはこちらから⇩

是非親子で体感しに来てみてください^

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