地蔵院雪観

哲学と仏教に興味があります。

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最近の記事

庄内の風と土と祈り 6月号

大型連休も過ぎるとモザイク模様のように田に水が注がれてゆき、やがて磨き上げられた1枚の大きな鏡のようにキラキラと大空を映す。 咲きほこった花たちが新緑に押され、ゆっくりと地に落ちるころ、大地に水が満ち渡り、庄内平野の気温は少し下がる。 天地に抜けるような景色とひんやりとした空気がそこに暮らす人の身心を爽やかにする。最上川の堆積物によりできたこの庄内平野。おそらく1000年前にはこの水田もなく沼地が一面に広がっていたことだろう。 「こんな田舎には何もない」と自嘲的な声をたまに

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      写真集『静謐探訪』五老峰で紐解く沈黙の世界

      • 庄内の風と土と祈り 4月号

        冬の静けさを破り、賑やかになる庄内の春。 ふきのとうがあちこちで伸び、虫たちは蠢き始め、雪解けの沢の流れはざあざあとやかましい。 山の稜線へと白雪を押し上げるように麓の緑は色濃く裾野を占有してゆく。 つめたい冬のおかげか、春の足音はより大きく響くようである。 静けさというのは喧騒により瞬く間にかき消されてしまう。 それが消えたことさえ誰も気づかないうちに。冬があったことさえ春は忘れさせる。 私たちもまた静寂の側から産まれてきて、つかの間、この静寂の上に広がる喧騒の中で、こと

        • 庄内の風と土と祈り 2月号

          詩人の三好達治に『雪』という詩がある。 「 太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。 次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。」 ふりつむ雪は心を静かにさせ、庄内平野は水墨画のような一面の余白と、黒くけわしい山肌とのコントラストが深まる。 実際には強風が吹き荒れ「地吹雪」と呼ばれる地面から舞い上がる雪に視界が奪われる。雪にとざされ家に籠ることが多くなる季節であるが、この季節は、家に帰ってちゃんとくつろいで腰を落ち着けさせられる気がするのである。屋根に雪がふりつむ夜ほど、心の

        庄内の風と土と祈り 6月号

          「六道テレビの夢」

          ある時不思議な夢を見ました。私はなぜか見知らぬ病院に病院のベッドの上にいます。 そこは奇妙な病室で、窓もなく電気もない真っ暗な部屋でした。身体はベッドの上に拘束されており、両腕と頭だけが自由でした。両隣には私と同じようにベッドに縛り付けられた人がいました。どうも大部屋のようで沢山のベッドが並び患者が寝かされていました。そしてベッドで寝ている人の目の前には何故か、アームで固定されたテレビがあり、ずっとその画面を終日見させられていたのです。 数日もすると、それぞれの目の前にあ

          「六道テレビの夢」

          AIの進歩から考える仏教(加筆中)

          【AIの脅威】 ここ数年でのAIの進歩には驚かされる。少し前まで、Siriやアレクサやグーグルアシスタントと会話をしていて、もどかしさとともに「こいつらもまだまだだな」と思っていたのだが、最近「Chat GPT」という会話ができるAIの評判を耳にして、実際ににいろいろと質問を投げてみているが、その返答速度や正確性に大変驚かされている。AIは質問を受けるとビッグデータにアクセスし即座にその質問内容に関連する情報を集め文章として整えて提示してくれる。その回答内容はほとんどネット

          AIの進歩から考える仏教(加筆中)

          庄内の風と土と祈り 12月

          今年も白鳥の渡りが秋の深まりを確かなものにしている。 一つ一つパズルピースが埋まっていくかのように、庄内平野の風景は秋色へと染め上がってゆく。 それは寒気を切り裂く朝陽の鋭い差し込み。山の稜線から滲み出るかのような紅葉。収穫され露出した田園の地肌。 一羽の白鳥だけでは秋全体を表すことはできないが、無数なる要素の一つ一つが秋を支える。 秋には正体がない。 秋は永遠なるものに属し、遥かなるものに属する。どこからか現れ、過ぎ去ってゆくこの全体性に思いを馳せる時、望遠鏡を反対側

          庄内の風と土と祈り 12月

          庄内の風と土と祈り 10月

          「見える」ということは不思議なことである。 いま、この紙面を開き見つめているあなたの2つの眼玉が、あなたの視界を邪魔することは絶対にない。目玉が視界から姿を消してくれているからこそ、この夕焼けの写真を見ることができる。 自分の後頭部を直接に見ることはできないように「見える」ということが起こるには、「見えない視界の外側」があってはじめて可能となっているようなのだ。 視界が360度見渡せないからこそ、目の前の光景に注目することができる。 「見る」ということは、「これ以外を見

          庄内の風と土と祈り 10月

          庄内の風と土と祈り 8月

          この土地では、ふとした所でよく鳥居を見かける。 田園の中にポツンと建つこの小さな社(やしろ)は、まるで庄内の遥かなる大地と大空の広がりを象徴しているようにも見える。 この象徴に手を合わせる時、遥かなるもの、果てしないものとどこかでつながる気がする。 それは私たちが、遥かなるもの、果てしないものの側からやってきたからなのだろうか。 庄内平野の広がりと奥行きは、このレンズの画角に納まりきらない。また、言葉でも語り尽くせない。自分自身を含めたこの遥かな広がりを私たちはすべて

          庄内の風と土と祈り 8月