庄内の風と土と祈り 4月号



冬の静けさを破り、賑やかになる庄内の春。
ふきのとうがあちこちで伸び、虫たちは蠢き始め、雪解けの沢の流れはざあざあとやかましい。
山の稜線へと白雪を押し上げるように麓の緑は色濃く裾野を占有してゆく。
つめたい冬のおかげか、春の足音はより大きく響くようである。 静けさというのは喧騒により瞬く間にかき消されてしまう。 それが消えたことさえ誰も気づかないうちに。冬があったことさえ春は忘れさせる。
私たちもまた静寂の側から産まれてきて、つかの間、この静寂の上に広がる喧騒の中で、ことばの音源となる。そしてまた永遠の静寂へと還ってゆく。
心の静寂は、憎しみや怒りや嫉妬や粗暴なふるまいという騒音でかき消され続ける。自分でも気が付かないうちに。でもそんな些末なことで静寂は消滅することがない。それは慎んでいるだけ。
空へと飛び立つ姿勢をとる、鷺でさえ、その瞬間、静寂を大いに使う。自分の一番好きなこと。例えば食事、音楽、景色など、心から堪能し、また習熟したいと思う時、あなたもまた静寂を使っている。 箸の上げ下ろし、器に盛られた米の重さ。料理の見た目、芳ばしさ、歯ざわり、暖かさを愉しむとき、腕を静かに持ち上げ、箸、器をその身に丁寧に感じ取っている。静かに重さを受け取る時丁重に物を扱うようになる。喧騒とともにそれを行えば、食事の味も器の重み瞬時にかき消える。 重いは想い。静寂は、存在の想いを響かせる。
農家の想い、米の想い、大地の想い、太陽の想い。その響きは重さとしてあなたに届く。 この庄内の風景に暮してきた先人たちもまた、静寂を愉しみ、使いこなし、慎み深く生活をしてきたことだろう。
あなたが本当に落ち着くべき場所、還るべき場所は静けさの中だけにある。あなたが静かにふうっとひと息つくだけで、すぐにでもそれは訪れる。水面は凪いで、本当のあなたの姿を現す静謐な鏡となる。 新しい季節の想いを、静かに迎えうけとめたい。 静寂とは、偉大な教師であり、また仏のことであり、神のことなのかもしれない。

※こちらの文章は庄内の無料地域情報誌「BLOOM」2023年4月号に掲載されました。

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