庄内の風と土と祈り 2024年2月号

この冬は暖冬で雪が少ないらしい。
山が一定量の雪を貯えることができないと、春先にはダムの水位も大きく下がってしまうのだろうかという懸念が今からある。 そうは言っても日増しに気温が下がり、寒々しく白を纏う深山幽谷。その中で過酷に暮らす鳥や獣や虫や植物たちはどのように振舞っているのか。
都会に暮らしていた頃、電車や飛行機の窓から立ち並ぶ高層ビルや街並みを何気なしに眺めていて、同じような作りの箱の中に、全く異なる内容の物語が一つ一つそこに生きられていることにふと気がつく。人々の何でもない日常がそこに無限無数に展開されているだろうことを想うと、つい眩暈がしてくる、この感覚を誰しも一度は感じたことがあるのではないか。 そしてそれは、幾何学的な都会の風景の中だけではなくて、ありふれた庄内の自然の風景においても同じように感ずるのである。
「青山常運歩」
山は常に歩き続けているという。シンと静かに白雪に閉ざされるように見えても、そこには無数のいのちがあり、無限の活動がある。 少し目を凝らしてみれば、どこまでも詳細というのは奥行をもって作り込まれて用意されていて、それは、宇宙に眼を向けても、自分の手の平の指紋の形や、さらにその奥の細胞、素粒子に眼を向けても目の届く限り具体的な詳細がある。あるいは過去にも未来という時間の中にも。どこまでも「分け入っても分け入っても青い山」であり、悠久の時間・遥かなる空間が今この私を中心点として、遥かに広がり続いていることがわかる。
一枚の写真にはその無限の詳細のすべてを写し取ることはできないが、そこへと足を向ける登山口の一つにもなるだろう。

撮影地:庄内町科沢
「青山常運歩」(『正法眼蔵 山水経』道元) 
「分け入っても分け入っても青い山」(種田山頭火)

※こちらの文章と写真は庄内の無料地域情報誌「BLOOM」2024年2月号に掲載されました。

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