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庄内の風と土と祈り 2月号

詩人の三好達治に『雪』という詩がある。

「 太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。 次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。」

ふりつむ雪は心を静かにさせ、庄内平野は水墨画のような一面の余白と、黒くけわしい山肌とのコントラストが深まる。

実際には強風が吹き荒れ「地吹雪」と呼ばれる地面から舞い上がる雪に視界が奪われる。雪にとざされ家に籠ることが多くなる季節であるが、この季節は、家に帰ってちゃんとくつろいで腰を落ち着けさせられる気がするのである。屋根に雪がふりつむ夜ほど、心の静けさをちゃんと確保させてくれる。

初めて庄内に来た十数年前の陽春、防雪柵というものを見て「この美しい景色の広がりを邪魔するものがなぜあるのだろう」と疑問に思ったものだった。その後この地に移り住み、初めての冬をむかえ、3m先も見えない地吹雪の道をフラフラと運転して、初めてその重要性を身をもって理解した。柵が無ければ、道路も雪に埋まりどこを走っているのかさえ分からなくなるのだ。

同じ土地であっても、旅で訪れ鑑賞する風景と、そこに暮らすことで見える風景とで、異なるパラレルな視点がある。柔らかくふわふわした雪を愛でて戯れることもあれば、真っ暗な吹雪の朝に固く重い雪に体当りをして除雪する日常もある。前者は画面越しの雪への眼差しであり、後者は身を持って雪と対峙する眼差しである。この視座の変遷はどちらも大切で、人に旅を求めさせ、また郷愁を深めさせてくれる。

急な病で目が不自由となった師に弟子入りして、私は「雪観」という道号を頂いた。この地で雪という仏性をよく観なさいという公案を頂いたように思う。

例年のこの冬の訪れは旅でもあり、また帰郷でもある。

※こちらの文章は庄内の無料地域情報誌「BLOOM」2023年2月号に掲載されました。

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