庄内の風と土と祈り 2024年6月号

春を飾った花々が散り、新緑が力強く鮮やかになる頃、田には清廉な水が注がれ、庄内平野はモザイク模様を徐々に埋めていくようにして、大きな1枚の鏡となる。
新たに水が流れ出すところには、流れに沿うように風が吹きこむようになるという。水は土を潤し、岩を磨き、風を呼び、場の空間をも浄化する。
法要の際に場を清める作法の中で「万物尖新(ばんもつせんしん)なり」と唱える。すると器の水は場を清め荘厳(しょうごん)する清浄水(しょうじょうすい)となる。 田の清浄水は鮮明に青空を映し、美しい山々を反転して、風景は横方向だけでなく、縦方向にも広がりを持つ。
日が完全に沈み、風も雲もなく凪いだ夜の田園。水面には星が映り込み蛙の声だけが辺りに響く。鳥海山の少し左手の北極星にレンズを向ける。ひとつひとつの星の軌跡は、それぞれに異なる時間と空間を越えてこのレンズまで届いている。こちらの星は何分前の光、あちらの星は何千光年、何億年も前の悠遠なる光もあるだろう。異なる歴史を持つ光が今この空の上に届き一同にきらめく。
4時間カメラを設置して、流れる時間を写してみる。孤の先端が今である。時は今の連続で、無数の今という一瞬が138億年というの悠遠な大宇宙の瞬間を支えてきた。流れ続ける沢山の今の中に、「本当の今」というのが一つだけある。10秒前の今でも百年前の今でもなく〈この〉今である。
〈この〉今は138億年の歴史の中で宇宙が初めて迎える最先端である。そこを万物尖新(ばんもつせんしん)と言い、その最先端を離れて私は生きることができない。私という小さな端末は、大宇宙万物の尖新であるとも言える。
庄内平野は今が一番若く尖新。あなたも今が一番若く尖新なり。

撮影地:鶴岡市下荒井京田
「円伊(えんい)の三点水(さんてんすい)、万物尖新也(ばんもつせんしんなり)」

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