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小説 『闇の荷物』シリーズ外伝 はだかの社長 21.10.15

以下紹介する全ての小説に、男性同性愛表現が含まれます。

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【これまでの経緯】





「琢《たく》さん、なに、その格好……」
 Tシャツにジャージ姿でベッドに寝そべりスマホをいじっていた橘《たちばな》洋平《ようへい》は、突然部屋に姿を現した神戸《かんべ》琢蔵《たくぞう》を見て、スマホを取り落とし、目を丸くした。
 琢蔵は素っ裸だった。多少後頭部が薄くなったごわごわの毛髪、対照的に口の周りをもっさりと覆うひげ、脂肪の乗ったいかつい筋肉にびっしりと生え揃う体毛、全身のあらゆる毛から、ぽたりぽたりと水滴が落ち、絨毯にシミを作っている。
「コンビニに行け」
「……はぁ?」
 首をかしげた洋平に、琢蔵は眉間に力を入れ、
「いいから、今すぐコンビニに行けっ!!!」
「は、はいっ!!」
 鬼に睨まれたように洋平はすっくと立ち上がり、スマホを拾い上げて、玄関へと駆け出していった。
 ――九月三十日、深夜過ぎのことである。

 体を拭き、龍の刺繍が背中に施された紺色の甚平を着た琢蔵は、どっしりと床にあぐらを掻いて、煙草を吹かしながら、洋平の帰りを待つ。
 文字盤に「安岡酒店」と書かれた壁掛け時計は、二十三時五十一分を指していた。
(もう買っただろうか)
 煙草を深く吸い、紫煙を吐き出す。
 毎年この時期――具体的には十月前後、琢蔵は激烈に後悔をする。その記憶はあるのだが、それが何の理由によるものかわからず、喉の奥に魚の小骨が刺さったままのような不快さを二、三日前から感じていた。
 頭の片隅で違和感を覚えながらも、洋平が用意した弁当で遅い夕食を済ませたあと、琢蔵は汗のにおいが残る作業着をシャツごと脱ぎ捨てた。
「じゃ、はじめっか」
 下半身に顕著な変化を見せつつ、毛深い筋肉と年齢なりにせり出した腹をさらけ出し、今日も事務仕事で一日を終えた洋平に両手を広げる。
 平成から令和になり、齢五十を過ぎても、琢蔵の精力は衰えるどころか、ますます燃え盛っていた。公私ともにパートナーになった洋平だけでは飽き足らず、時たまこっそりと「紳士の社交場」に――。
 それはさておき。
 愛の交歓が終わり、一人しか入れない狭苦しいシャワー室に洋平のあと引き続き入った琢蔵は、固形石けんで股をごしごしと洗いながら、今日の仕事を思い返していた。
 三日前、老婦人から電話で「おまかせコース」の依頼を受けたものの、どこへ引越をするのか要領を得ない。そこで今日の午後、老婦人宅へ琢蔵が直接伺い、話を聴くはずだった――のだが。
 下町の長屋風の狭小住宅に住む、八十代ほどの老婦人に頼まれた仕事は、ペットの犬の散歩、庭の草むしり、風呂の掃除、生活用品の買い出しと、引越とはまるで関係のないものばかりだった。どうやら、大手引越業者の「なんでもサービス」のCMを見て、それが引越屋の一般的なサービスだと混同したらしい。
 断ることもできたが、今は正直どんな仕事でも喉から手が出るほど欲しかった。老婦人が琢蔵の亡くなった母親と同年代だったのも理由の一つではある。
 夕方、頼まれたものを買ってスーパーから琢蔵が帰ってきたとき、婦人が居間のテレビで観ていたニュースの「明日から値上げの秋」という特集がずっと心に引っかかっていた。
(値上げ、なぁ……)
 これからさらに節約せんといかんな。そんな思いが頭をかすめながら、最近とみに寂しくなった髪の毛も含めて全身を覆う石けんの泡を洗い流す。
 値上げ、節約――。
 頭の中でもやもやとしていたイメージが、煙と、蛍のように点滅する光に変わる。
「おっ!!」
 それに気付いたとき、琢蔵は全身びしょ濡れのままシャワー室のドアを開け、廊下に飛び出していた。
 近くのコンビニで、あるだけのセブ●スターを買い占めるよう洋平に命じたあと、甚平の胸ポケットにある煙草へと自然に手が伸びた。
 琢蔵が「タクチャン引越センター」を創業して二十年あまり。二年前の今頃までは、事業も堅調に進み、自宅のシャワー室を洋平と一緒に入れるぐらいに広く改築したいとのんきに考えていたものだ。
 元々異性愛者《ノンケ》だった洋平を、同じホモの道に引っ張り込んだのは他ならぬ琢蔵である。
 最初は昔からの悪癖だった「ノンケ食い」のつもりだったが、それが愛情に移り変わったのは、「ある事件」に彼を巻き込んでしまったことが大きく影響している。
 洋平が大学を卒業したのを機に、琢蔵の会社の社員として採用し、会社裏の琢蔵の自宅で一緒に暮らすようになった。対外的には「ルームシェア」と言い張っているが、実質的には同棲といっても構わぬだろう。
 好きになった男も一緒に暮らした男も、洋平が初めてではないが、三十近く歳の離れている男二人の暮らしは、琢蔵が思っていた以上に、気苦労の多いものだった。
『俺をホモにした責任取ってくださいよ!』
 犬も食わぬほどのささいな出来事――たとえば、シャワーを浴びた琢蔵が、体を拭かぬまま素っ裸で冷蔵庫からビールを出して飲んでいるとか――を注意され、上司であり大学応援団の先輩でもある関係性を持ちだし逆ギレ気味に怒鳴り返すと、その言葉が返ってきた。
 日本一有名なフーテンではないが、「それを言われちゃあおしめぇよ」、である。
 そんな諍いを経るごとに琢蔵は、言葉に出さないが、少しずつ気遣いを心掛けるようになり、洋平もまた、責任云々を口に出すことは少なくなった。
 それでもたまに、琢蔵がつい声を荒らげてしまったときには、「その夜のフォロー」を念入りに、かつたっぷりとするようにしている。
 同居を始めてから六年が経ち、琢蔵としては、埼玉にある洋平の実家にそろそろ挨拶に行き、親御さんに二人の関係をご報告したいと考えていたが、「それだけはやめてくれ」と洋平から泣き付かれた。
「うちの親はカタギなんだから」
 どういう意味なのか、多少引っかかったものの、カミングアウトについてはやはり洋平の意思を尊重すべきだろう。
 そして、この伴侶《パートナー》をいずれは自分の後継者に育てたいと、琢蔵なりに人生設計をぼんやりと思い描いていた。
 ――が、その翌年、我がタクチャン引越センターは創業以来最大の経営危機を迎える。
 進学・就職に伴う引越の依頼は、去年の春以降ぱったりと途絶え、いまだに回復には至っていない。
 引越屋がテレワークというわけにもいかず、一部の社員は、琢蔵と同じ飛流大学応援団OBのつてを頼り、一時的な出向という形で面倒を見てもらっている。逆に仕事が減ったOBを、助っ人として引越のバイトに来てもらうこともある。
 未曾有の事態の収束が見えない中、会社を畳もうかと思ったことは一度や二度ではない。だが、そのたびに社員一人一人の顔が脳裏にちらつき、なんとか思いとどまってきた。そのストレスがさらに琢蔵の喫煙量を増加させていた。
 この苦難の始まりからもうすぐ二年経つが、最初の頃よりはある程度対策が確立されているものの、それでも、いまだに苦しんでいる人たちは日本のみならず、世界中にいる。
 心の中に暗雲が立ちこめる。
(神様とやら……貴殿は時にあまりにも残酷だぞ)
 琢蔵は、ちゃぶ台の上のアルミの灰皿に、吸いさしの煙草を押しつけた。
「……いかんな」
 下を向くな、しっかり前を見ろ! 神戸琢蔵!!
 大学応援団の練習時に、先輩方から浴びせられた一喝が脳裏によみがえり、背筋がピンと伸びる。
「ここーでー尽くーすぞ、我がーベストぉぉ、か」
 ふと口から、応援団の団歌が漏れた。
 現役団員時代の地獄の特訓に耐え抜いた根性は、そこまでヤワではない。世の中がどうあっても、なんとしても生きていかねばならぬのだ。
「ただ、注射がな……」
 昔から苦手なそれを、あと何本打つ必要があるのだろうか。

♪ここーでー尽くーすぞ 我がーベストー

「……むっ」
 琢蔵のスマホが鳴る。
 太い首をぐるりと回し、とりあえず立ち上がった琢蔵は、
「……どこだ」
 足の踏み場もなかった「独り身」の時よりはだいぶましになった部屋を、音の聞こえる方向へそろそろと歩いた。
 置き場所の記憶が戻らないまま廊下に出て、もう一度耳を澄ませると、シャワー室の辺りから着信メロディが聞こえてきた。
「……ぬっ」
 ドタドタと脱衣所に進み、下着ごと服を放り込んだ洗濯かごを覗き込む。
「やべぇやべぇ」
 中から作業着のズボンを手に取ると、ポケットで鳴り続けるスマホを取り出した。
 五十を過ぎると、このようなことが頻繁に起こる。
 舌打ちをしつつ、洋平の笑顔の下にある通話ボタンを押した。
『あ、琢さん、いまコンビニだけど』
「おう、セブン●ターはもう買ったか」
 内心の決まり悪さもあり、ぶっきらぼうな声を出したが、『それなんだけどぉ、あのぉ』と言ったきり、洋平は沈黙する。
「どうした」
『……ちょっと困っちまってぇ』
 人類を強面かそうでないかに分けたとして、間違いなく自分と同じグループに属するというのに、洋平にはどこか煮え切らないところがある。
「いいからさっさと言えっ。キンタマ付いてんだろうが」
『それはさっき琢さんも見たよね』
「バーロイ、物の例えだ!!」
 怒らないでよ、と念押ししてから、洋平はふたたび口を開く。
『実は財布を家に忘れちまっ……』
「なぁぁぁぁにぃぃぃぃぃぃぃっ!!! ガキの使いじゃねぇんだぞおめぇ!!!」
 琢さんが急に言ったんだし、と洋平はおろおろした口調で弁解する。
『だからスマホで決済しようとしたら、緊急メンテ中って表示されて……』
「とにかくセブン●ターは買えるのか買えねえのかどっちなんだっ」
『取り置きはできるけど、〇時過ぎたら自動的にレジで値上げされるって』
「それじゃ意味ねぇだろうが!! スマホはなんのためにあるんだ!!!」
 そのスマホ片手に怒鳴り散らし、琢蔵は居間へと駆け込んだ。掛け時計は二十三時五十七分を指している。
 琢蔵の財布は会社に戻ったとき、自分の机の引き出しにしまっている。コンビニに行く時間も含めて、三分以内にそれを取ってくるのは無理だ。
「くっ……」
 全身に流れる汗を感じながら、琢蔵は、ひげに覆われた厚い唇を強く噛み締めた。





 ――二十三時五十九分。
 橘洋平は、腕組みをしてコンビニのイートインスペースに座り、琢蔵の到着を待っていた。
(ジャージにマスク入れといて良かった……)
 店員はもちろんのこと、この時間でもちらほらと訪れる客もまた全員マスクを付けている。
『いいか、今すぐ俺が財布持ってくから、それまでレジ止めとけっ』
 相変わらず琢蔵は無茶ばかり言う。六年間一緒に寝起きをともにしているうちに、大抵のことは慣れてしまったが、この展開はさすがに予想できなかった。
 とは言え、洋平も六年の間、ただ琢蔵のそばにいたわけではない。
 煙草の値上げ後に琢蔵が大騒ぎするのはもはや毎年の〝恒例行事〟であるため、今年はこっそり十カートンほどセブン●ターを買っておき、あとでそのことを伝えるつもりだった。
(人の気も知らないで……)
 スマホの決済機能が緊急メンテナンス中、と言ったのは嘘だ。
 仕事が減り、喫煙が増えた琢蔵は、おそらく息を切らしてやってくるだろう。体力と、特に肺の機能低下を実感すれば、洋平の言葉に少しは耳を傾けてくれるかもしれない。それでも駄目だったら、床下の収納庫に洗剤と一緒に隠している煙草は処分してしまおう。
 洋平としては、琢蔵にできれば禁煙をしてほしい。それが無理なら本数を一本でも減らしてもらいたい。もちろん、今世界的に流行している感染症の問題が大きいが、これからも琢蔵と一緒に人生をずっと歩んでいきたいからこその思いもある。
 埼玉の実家に挨拶に行きたい、と琢蔵から言われたのをきっかけに、両親に電話で「大事な人がいる」とそれとなく伝えた。一度相手の顔を見せるよう言われたが、例の感染症が収まってから、とごまかし続けている。
 親の前に、同世代の若い女ではなく、就職先の社長で極道の親分みたいなおっさんが現れたらどんなことになるか――。考えただけで気が重くなる。
(まあ、あの顔で、意外に可愛いといえば可愛いところも……あるようなないような)
 洋平が首をひねっている間に、『時刻は午前〇時を回りました』と店内放送が告げる。同時に、テーブルの上に置いていた洋平のスマホが鳴った。琢蔵の名前を確認して電話に出る。
「はい、もしも……」
『洋平、おめえは俺の部下であり、アレだよな!』
「はぁ?」
 洋平は首をかしげる。
『おめえは俺のアレだから、俺がおめえの財布持っててもおかしくねぇよな!!』
 スマホ片手に走っているのか、琢蔵がひどく慌てていることだけしか伝わらない。
『橘洋平さんですか』
 端末の向こうで、固い口調の男の声がした。
「あ、はい、そうですが」
『私、警察の者ですが、こちらの方が財布を持って走っているのをお見かけして、ちょっとお話を伺ったところ、財布にお宅さんのマイナンバーカードが入っていたので、ご確認を』
「あぁ……」
 尻を蹴られたように飛び上がった洋平は、まっすぐコンビニの出入口に駆け出した。外に出ると、十月とは思えないほどのむっとした夜気が肌にまとわりつく。
「と、とにかく今からそっち行きますんで、場所は――」
 琢蔵と暮らして六年間、こんなことが何度かあったし、これからもあるのだろう。
(琢さんも、少しは自分の顔のこと考えてくれよな)
 だが、町を私服で歩けばほぼ確実に職質を受けるおっさんと一緒に住むことを選んだのは、紛れもなく自分だ。
(ま、しょうがねぇか)
 洋平は耳に押し当てたスマホを握り直すと、闇夜の住宅街を全速力で走った。



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