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小説『彦星、二人』 21.7.7

※この小説には男性同性愛描写があります。

 俺の部屋の机に置いたノートパソコンに、奴の顔が現れる。相変わらずの赤い顔で、画面には映ってないが、深夜二十三時を過ぎてもう一杯やってるんだろう。黒のタンクトップから覗く二の腕は、この一年半もトレーニングを怠っていないらしく、かなりの太さを保っている。背後の本棚には、大ヒットした「鬼」を滅するマンガがずらりと並んでいる。
「元気?」
 俺が声を掛けたのに、奴――ピロは、少し首をかしげたまま、なかなか返事をしない。
「なに、なんなの」
「いや、あのさ」
 首を反対側にかしげたピロは、人差指で頬を突っつき、疑問顔で画面越しに俺を見る。
「クリスマスなら『メリークリスマス』、正月なら『あけましておめでとう』。……で、七夕ならなんて言うんだっけ」
「知らねえよ、ンなこと」
 俺は呆れて息を吐きながら、眉間にしわを寄せてやった。
「あ、ヤス」
「なに」
「なんか老けた?」
 俺の顔が一瞬こわばる。そりゃあ、一年半もじかに会ってなければ、そう見えるかもしれない。ただ、どこぞのユーチューバーや女優じゃあるまいし、そんなライティングにこだわるほど俺は暇じゃない。それに……。
「俺が老けたとしたら、ピロも同じだけ老けてるし! そもそも俺たち同い年だし!」
「でさ、今年もやっぱり『SASHINE《サシャイン》』の七夕パーティー中止になっちゃったみたいで」
 人の話を聞いてないのも相変わらずだ。憤りを飲み込んで、「ああそう」と話を合わせてやる。
 半年近く、オンラインでダラダラトーク続けているこんな俺たち、いったいどういう関係なんだろう。

 ま、話の流れとしては、ここで俺たちの出会い、ってやつを語り始めればいいのかな。
 でも、その前に俺の境遇から先に話させてほしい。
 地元の大学を出て、地元の建築会社に勤めて三年。親と同居し、ゲイであることをひた隠しにしている俺の楽しみと言えば、年数回、東京に出て二丁目のゲイバーや、「関連の施設」で羽目を外すことぐらいだ。
 おととしの十二月、会社が年末年始の休みに入ったと同時に、俺は家族に適当な言い訳をして、いそいそと上京した。
 到着した日の夜、さっそく行き付けのゲイバー「SASHINE」に繰り出した。馴染みのママに近況報告をしながらカウンター席で酒を飲み、ゲイ丸出しで別の客を触ったり触られたりしていると、午後九時を過ぎたあたりで一人のデカい男が店に入ってきた。
「あら、ヒロシちゃん、おこんばんは~」
 ひげ面ママのごわついた声のあいさつに、隣のがっしりした背の低い兄ちゃんと下心アリアリで話をしていた俺は、ふと玄関に目をやった。
「えっ」
 そいつの姿を見て、思わず声が漏れてしまった。向こうも俺を見て、「ん?」という顔をした。
 脇の下に嫌な汗がどっと滲む。あわてて俺は、そいつから顔を逸らしたものの、
「すんません、ちょっと後ろ通りまっす」
 ドタドタと靴音が近づいてくる。来るな、あっち行け!
 だが、長身の男は、顔を真下にしている俺の背後に立ち、頭の上から、
「……ヤス?」
 と昔のあだ名を口にした。ここじゃ俺は「タロー」で通っているのに!
 いいえ、人違いです、と俺が口に出そうとする前に、ママが、
「あらー、タローちゃんとヒロシちゃん、お知り合いなのぉ」
 と口を挟んできた。
 あ、じゃあここどうぞ、とガッチビ兄ちゃんが席を立つ。ああ、と俺が落胆している間にその男が「どうもー」と言って、どっかりと腰を据えた。
 観念した俺が、顔を上げて男の顔を見る。その、セント・バーナードみたいな、愛嬌のある、ちょっと間の抜けた顔は、やはり見覚えがありすぎるほどある。
 ベージュのボアブルゾンを着た男は、まじまじと俺の顔を見返す。
 見開かれたその目に、驚きが広がっていく。
「マジ、ヤスも『そう』だったの?」
「だから『ヤス』って呼ぶなって……」
 声に力が入らず、独り言のトーンになってしまう。
 地元の知り合いにバレちまった。これで、俺の楽しかったゲイライフも終わりだ……。
 そんな俺の心境も知らず、男――ピロは、せきを切ったように話し始めた。
「なっつかしー、なに、おまえ今東京にいるの?」
「ヤスもゲイだったなんてなー、ちーっとも気が付かなかった」
「もう恋人とかいちゃったりするわけぇ」
 昭和の芸能レポーターのように質問攻めをしてくるその口を縫い針と糸で閉じてやりたくなる。
「あ、俺ちょっと用事思い出したから……」
 よろよろと立ち上がろうとした俺の手首を、ピロがガッとつかむ。
「……しゃっけぇっ(冷てぇっ)」
 外から入ってきたばかりの冷たい手に、思わず方言が漏れてしまう。
「行かねえでけれや、同窓会ぶりだべや」
 ピロもまた方言を口にして、すねた顔を作る。
「こうなったらもう洗いざらい白状しちゃいなさい、『ヤス』ちゃん」
 ママのだみ声に、俺は黙って座るしかなかった。
 ――以下、ママにしゃべったことをそのまま書く。
 俺とヤスは、三年間、地元の同じ高校に通っていた。一緒のクラスになったのが二年からだったが、当時はすごく親しい間柄でもなかった。成績はあまり良くなかったけど、明るくてスポーツのできるピロはクラスのムードメーカーで、そのころから自分のセクシュアリティーに悩み、あまり友人と深い付き合いをしてこなかった俺は、奴ともそれほど接点がなかった。
 けれども、一度だけ奴を意識したことがある。
 ピロの本名は「広志」というのだが、体育の授業の前、椅子に座ってピロが着替えをしていた時、「うわっ」とクラスメイトの男の声が教室に響いた。その時俺は離れた場所にいたので気付かなかったが、どうやら、学生ズボンから短パンに履き替えていた時に、裾からピロのアレが顔を出していたらしい。それが、なかなかの大きさだったこともあり、広志と「おっぴろげ」を引っ掛けて、あっという間に「ピロ」というあだ名が定着した。
 ちなみに俺のあだ名「ヤス」は、本名の「高雄」の反対――という実にコーコーセーらしいしょーもない理由だ。
 ピロのは「大きい」らしい――その噂は、男に興味を持ちつつもそれをなんとか否定しようとしていた俺の心を大いに惑わせた。実際に見ていなかったことが、なおも妄想を掻きたて、ついに、二、三度、「世話になってしまった」。
「なんだー、言ってくれればいつでも見せてやったのに」
 俺の告白を聴き終えて、ピロはあっけらかんと口にした。
 心臓がドクンと鳴る。
 これで、心が動かないゲイがいると思うかい?
 男と男、ましてゲイ同士ともなれば話は早い。そのあとは、ママに見送られて、近くのホテルに行き――まぁ、「見せてもらった」。
 そのあとは、ご想像通り。
 初めてに近かったのでもたついてしまったが、なんとかうまくいって、酒も入っていた俺は、つい安心してピロの腕の中で眠りについた。
 翌日、ピロと近くの牛丼屋で朝定食を食べてる時、ズボンのポケットに入れていた俺のスマホがピロリンと鳴った。画面を見ると、「ヒロシ」という名前の男から、マッチョの男が右手の親指を立てているイラストが送られてきた。
「……えっ」
 横のピロを見ると、右手で箸を持ちながら、左手で自分のスマホを操作していた。含み笑いを浮かべている。
「バ……ッ」
 寝ている間に人のスマホ勝手に見やがってバカヤロー、とキレる前に、同じマッチョの男が土下座しているイラストが続けて表示された。

 そんなこんなで、ピロとのラインのやり取りが始まった矢先、世界は急速に変わり、あっという間に黒い渦に飲み込まれた。
 新幹線で数時間だった東京は、いまや星よりも遠い場所になり、それから一年半経っても、まだ俺たちは実際に会えていない。
 俺は地元から動けないし、ピロは東京の居酒屋でバイトしながら役者修業をしているらしいので、たとえ世の中がこうならなかったとしても、会えるのは年に数回もないだろう。恋人は「今は」いないとピロは言うけれど、確かめるすべもない。
 今年に入ってバイト先の営業時間が短縮され、「暇だよー」のセリフ付きでゴロゴロ床を転がっているマッチョのイラストを送ってきたピロとやり取りをしているうちに、このビデオ通話を始めることになった。
 ――てか、俺流されてる?
 高校の時みたく悩んだ末、一度奴と少し距離を取ってみようかとも思ったが、俺が連絡しなくてもポンポンポンポンマッチョスタンプが送られてきて、結局返信してしまう。
「なあ」
 俺は、画面の中で発泡酒に口を付けているピロに、少し真面目なトーンで声を掛ける。
「今年中にはなんとかなるかな」
 詳しく説明しなくても、毎日毎日テレビで流れている「あのこと」だとすぐにわかるだろう、と思ったのだが……。
「ん? なにが」
 少し眠そうな顔で、ピロは問い返す。
「いや……」
 俺は口ごもる。二人だけの時間に、「あれ」の話題が割って入ってきてほしくない。
「俺たちが会えるかどうか、って話」
「んー」
 回線不調のように、止まったまま沈黙したピロは、
「どうだろう」
 と煮え切らない答えを返す。
 そんなことは俺だってわかってるわけで。
 この世界、一回夜を共にするぐらいはあいさつ程度、って「SASHINE」のママから聞いたことがあるけど、やっぱりそんなもんなんだろうか。
「あーあ」
 俺は大きく背伸びをする。祝日を書き直した壁掛けのカレンダーが目に入る。
「彦星と織姫だって一年に一度は会えるってのに、なんなんだよもう」
 思わず漏らした俺の本音に、ピロは笑顔で食いついてきた。
「俺彦星だから、ヤスが織姫ってこと?」
「いやそこは、両方とも彦星じゃね」
「彦星と織姫ってさ、会ったら何するんだっけ。やっぱアレかな」
 ほら話聞いてねえ。
「知らねえっての」
 いらだちがつい口に出てしまう。ピロに当たっても仕方がないことなのだが。
「じゃあさぁ」
 ピロが、ドヤ顔を画面に近付けてくる。
「俺たちもオンラインでセッセセする?」
「しねえっ!!」
 つい大きな声を上げてしまい、俺は、あわてて口を閉じた。家族は寝ていると思うが、もし聞かれちまったらいろいろと面倒なことになる。
「ならさ、これでカンベンしてよ」
「えっ」
 俺のリアクションも無視して、ピロは画面の向こうで突然立ち上がった。下は短パンで、発達した太腿が顔を見せている。
 ぼんやりと画面を見つめていると、いきなり、短パンと下着が引き下ろされ、その下のものが映し出された。
「げっ」
 またもや、俺は声を上げてしまう。しかも画面の向こうでは、ピロがパソコンににじり寄り、ついにはディスプレイ一杯に「その」映像が大写しになった。
「はっ、はっ、はっ……」
 呆れ声が単発的に俺の口から洩れて、まるで笑い声のようになってしまう。
「元気出た?」
 出ねえし、と答えようとした口を閉じ、少し考えてから、「まぁ……うん」と口を濁す。
「今度会った時は、またナマで見せてやるから」
「……わかった」
 再度現れたピロの顔に、俺は苦々しい顔を作りながらも、言葉は素直に答えていた。

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