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贖罪のウソ:本当の罪は犯したと同時にあがなわれる

現代病の一つ、言葉のねじれを直す手術をします。
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<他者のための賠償>法律の話

法を犯したと”他者に認識”されたことで始まる裁判
”他者に認定”され告げられる判決
そして命じられる世間様のご機嫌取りのための刑罰

この罰は他者への罪に対する罰。
”罪”を贖わせるのではなく、”他者の損失”を償わせるのが目的。
人さまの機嫌を取るには時間と金がかかる。


<自己のための贖罪>倫理の話

倫理に反したと”自覚”することでおこる、自責の念
罪を犯したかもしれないと”案ずる”ことでおこる、自己不信
何が罪にあたるかを”知らない”ことでおこる、自己否定

この罰は自己への罪に対する罰
自然とおこる贖罪への意志。この意志に目的はない。
人として生きるがゆえに否応なく実行される贖い。
作用と反作用としての単純心理反応。これこそが反省
反省とは”自己から自己への損失”
こうして自己への罪は犯した瞬間に過不足なく贖われることが確定する。


「反省の色が見えない。」「罪の意識が足りない。」
よく言えたものだ。生きるために仕方なくやってんだ。どうせなら生きること丸ごと否定してみろ。これが自分で必死になって出した”答え”なんだ。真剣に受け止めてみせろよ世間様。

「自らの罪を数えてみろ。」
数えたければ勝手にやれ。自分ではそれはできない。数えられるような罪とは他者によって宛がわれるものだ。

「自らの反省を数えてみろ。」
反省のない人生の方がおかしい。立派な人間になるにはより多くの反省が必要だ。反省の少ない人間など、ただの昼行燈だ。


我々は長い間、科学という化け物に、経済という怪異に、幸福や平和や平等などという魑魅魍魎に「生贄」を捧げてきた。

しかし、「生贄などなくても雨は降る。」

特別な犠牲などなくとも、生まれたからにはできる限り身勝手に生きていい。

言葉を正さなければ、

言葉を正さなければ、


あいつがついに消費を生産と言い出したぞ。

便利を必要に変えられる前に、

権利を義務に変えられる前に、

存在の価値に気づかれる前に、

人間がこれ以上疎外される前に

「言葉を解きほぐせ」









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