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地獄で天国な世界で、誰かに寄り添う言葉を紡ぐ

ある時、親友に言われました。「この世は地獄なんだって」。

それを聞いた私は、根拠を尋ねることもなく納得しました。「そっか」と。「それなら、世界がこんな風でも仕方ないね」と。

この会話をした時のことはよく覚えています。この話を聞くまで、私は、この世が地獄だとは思っていませんでした。けれど、だからこそ苦しんでいました。どうしてこんなに苦しいのかが分からず、自分だけが嫌な思いをしているように感じていたのです。

でも、「この世は地獄なんだって」と言った彼女にとっても、彼女にその考えを伝えた人にとっても、この世は地獄なのでしょう。それなら、私が辛い思いをするのは、自然で普通のことのように思われました。

この世が地獄なら、苦しむのは当然のことなのです。そのことで悲しむ必要も、助けてと祈る必要もない。地獄なのだから、仕方ない。そう思った時、なぜかほっとした自分がいました。

でも。

悲しいことを避けることはできないし、意味の分からないことを言われることはあるし、理不尽に人は死んでいくし、自分自身が嫌になることは多いけれど。

それでも、生きているといいこともあります。

いい人に出会うこともある。
美しい景色を味わうこともできる。
優しい会話に救われたこともある。
時を経て誰かの想いが私に届くこともある。

そういう時、この世は天国なのかもしれないと思います。でも、「この世は地獄なんだって」と言われた時の腑に落ちた感覚を忘れることもできません。だから、私はぐるぐると考えてしまいます。

この世が地獄なら、どうして目の前の景色はこんなにも美しいのだろう。
この世が地獄なら、どうして目の前の人はこんなにも優しいのだろう。
この世が地獄なら、どうして私は今、幸せなんだろう。

地獄なのに、天国を見つけられたからなのかもしれません。それなら、できるだけ多くの人が、できるだけ長く天国の面にとどまれないものか、と思います。そのために私にできることは、読んでくれた誰かに寄り添う文章を書き続けることです。

周りの人は天国にいるみたい、と肩を落としている人には、この世は地獄なんだよと伝えるのです。この世は地獄だと思って日々を生きている人には、この世には天国の面もあることを伝えるのです。

自分が一人ではないと、この世に希望があると分かった時、その人の心の中に天国が生まれるでしょう。それは、地獄な世界を変えていく小さなきっかけになると信じています。

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