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長編小説「きみがくれた」中 前編 ①~㊾

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長編小説「きみがくれた」の中 前編です。①~㊾まであります。 短い文章で区切ってありますので、少しずつ読み進めて頂けたらと思います。 引き続き、 最後まで読んでいただけたらうれし… もっと読む
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記事一覧

長編小説「きみがくれた」中‐①

「白い花の日」  大雨が降った次の日、満月の夜にその小さな花がいっせいに開いて、野原を一面埋め尽くすんだ。  その無数の花に月の光が反射して、まるで天の河のように浮かび上がるんだって。  そこに立つとね、まるで星の群れの中にいるような、幻想的な景色が見れるんだって。                 ◆  マーヤが行ってしまった翌日、いつものように暗いうちから目を覚まし、部屋の隅へ目をやると、今朝も古いギターケースと黒いナップザックは見当たらなかった。  ベッドの上

長編小説「きみがくれた」中‐➁

「長い夜」  窓の外は見渡す限り真っ白で、空と地面の境目も曖昧で、さっきからもうずっと誰も通らない。  ヒーターの温度はちょうどよく暖かで、心地よくて、流れる音楽が眠気を誘う。  目の前の白い世界はどこか不安が付きまとう。  最後に霧島がいなくなってから、もうどれくらいの時間が経ったのだろう。                                   ◆  あの日の夜は、いつものように閉店後のソファの上で居眠りをしていた。 カラララン・・・コロロロン

長編小説「きみがくれた」中‐③

「後悔」  亮介が久しぶりにマーヤの家を訪ねた時、出迎えたのは父親だった。  配達の帰り道、その日の朝に市場で見つけてきた“マーヤが好きそうな植物”を抱えた亮介に、父親はその事実を告げた。  マーヤはまだ帰っていないこと。  旅行に出掛けて今日で1週間になること。  3日前には捜索願を出したこと。  母親は心労で寝込んでいること。  そして昨日、警察から連絡があったこと――。 “バスの横転事故” “身元不明の遺体” “遺留品が見つかった” “唯一の手掛かり”  父親

長編小説「きみがくれた」中‐④

「祈り」 マーヤの父親から封筒を預かり、マスターにあの紙を託した夜、亮介が家に帰ると冴子はまだ起きていた。 玄関まで出てきた冴子は、マーヤは喜んでいたか、マスターの店へ寄って来たのか、それにしても随分と遅かった、といつものように一人でしゃべっていた。 「夏目君あの花好きそうだもの、ねぇ?真理子さんも気に入ってくれたんじゃない?そう言えばあの子ったら帰って来たなら顔出せばいいのに、ねぇ、央人じゃあるまいし」 「まぁ出掛ける時に言って行くだけ央人よりマシか‥ていうか央人はま

長編小説「きみがくれた」中‐⑤

「選択」  そして、冴子の不安は的中した。  亮介はすっかり気を落としていた。  ベッドに横たわる霧島の白い顔はまるで造り物のように見える。  亮介には大声で泣きわめきながら自分を責め立てる冴子の姿が容易に想像できた。 “ダメよ!!” “絶対にダメ!!” “あの子が耐えられるはずないでしょ?!” 「――……こんなこと――冴子が知ったら――‥‥」 “それをあの子に――央人に証明させるの?!” “そんな酷いことをあの子にさせるの?” 「冴子ちゃんにはこれ以上心配か

「きみがくれた」中‐⑥

「最後の電話」  店はランチタイムで賑わっていた。 電話の音が鳴り響き、客席から戻ったマスターはキッチンに戻るのを諦め受話器を取った。 “マスター?!僕だよ!!今着いたんだ!”    受話器越しに聞こえてきたのは激しい雨音と、それに負けないマーヤの大きな声だった。 “マスター、霧島帰って来た?!” “いや、まだ帰ってないと思うよ!”  つられてマスターも声を張った。 “すごい雨音だね!” “うん!!聞こえる?!マスター、こっちは大雨だよ!!” “僕こんな大雨久

長編小説「きみがくれた」中‐⑦

「陽だまりの匂い」  あの夜久しぶりにここへ帰って来てから、霧島はずっとベッドの中にいた。  あれから数日、霧島は一度も目を覚ましていない。  朝がきて、同じベッドの布団から顔を出し、今日もここに霧島がいることを確認する。  今日も昨日と同じように、ただ静かに目を閉じている霧島を、いつまででも見つめている。  動かない霧島の側に、今日もいつまででもいられる。  窓から射し込む暖かい光と、霧島の匂い。    もう一度布団にもぐって胸元から顔だけ出してみる。  頬ずりを

長編小説「きみがくれた」中‐⑧

「居場所」 ヴ―――…ヴ―――…  低い振動音がして、すぐにマスターの腕が布団から伸びた。  カーテンを透ける朝日に目を細め、振動音のスイッチを切る。  ゆっくりと体を起こし、こちらを見上げて、ベッドの上の霧島を確認した。 「おはよう」  光の中で霧島の顔を覗き込むその表情は、あの幼い日の霧島と重なった。 “生きろ” “おまえは生きろ”  前髪の隙間からこちらを伺う怯えた瞳  濡れたように黒く澄んだ “おまえは生きろ”  冷たく震える手の中で、その意思は

長編小説「きみがくれた」中‐⑨

「作戦」  冴子がまた霧島の“捜索願”を出すと言い出した。 “いい加減しびれをきらしている”冴子に亮介は“そろそろ手に負えなくなってきた”。  冴子にしてみれば“いったい何日経ったか分からない”くらい霧島の姿を見ていない。    昨日の昼時、混雑している店へ入って来た冴子は、 「亮ちゃんもマスターもどうかしてる!」 と店内のお客さんたちの視線も構わずマスターに言い放った。 “どうしてそんな平気な顔をしていられるのよ?!” “あの子にまで何かあったら私‥っ”  霧島

長編小説「きみがくれた」中‐⑩

「葛藤」 「それにしても――」  マスターは口に運んだマグカップの手を止めた。 「僕が前から感じていたことだけどね‥冴子ちゃんはその――なんていうか、特に央人に対しては――‥とても敏感だよね」  マスターはコーヒーを一口含むと、感慨深げに息をついた。 「ですね、あれはもう一種の病気みたいなもんだから‥冴子は昔からそうなんだよな‥どういうわけか」  亮介は冴子が霧島に“執着している”理由を敢えて尋ねたこともない。 「あいつはなぜか霧島にだけ人一倍厳しくて、誰よりも心配し

長編小説「きみがくれた」中‐⑪

「前を向いて」  今朝も目を覚ますと青白い寝顔がそこにあった。  前髪が少し湿っている霧島は、昨日から“微熱”が続いている。  部屋のドアが開き、マスターが顔を出した。 「やぁ、起きたね」  マスターは店の仕事の合間を縫って、一日に何度もここへやって来る。 「最近はめっきり午後型になったね」  そう言いながらマスターは“チェスト”の上のグラスを交換した。 「まだ熱いな」  マスターは持って来た濡れタオルを霧島の額に乗せた。  枕の端で丸くなり、目だけでマス

長編小説「きみがくれた」中‐⑫

「束の間」  翌朝、今日も霧島はここにいた。  カーテンから透ける淡い光、すっきりとした安らかな寝顔。  顎先に頬ずりをして、首の周りに耳から額を擦りつけ、髪の間に鼻をうずめる。  大好きな匂い、大好きな感触。  鼻先に鼻を寄せ、冷たい頬に頬を滑らせ、閉じた瞼に―――  ―――その時、睫毛の先が僅かに動いた。  それはゆっくりと、少しずつ開き、光の中で眩しそうに歪んだ。    久しぶりの霧島に、やっと会えた。  まだ眠りの中にいる薄い瞼に、やがて濡れたように黒

長編小説「きみがくれた」中‐⑬

「笑顔」  暖かい風が心地よい午後だった。  中庭の緑が濃く蒼くきらめいている。  渡り廊下に腰を下ろし、安西先生はマスターが煎れたコーヒーを啜っていた。 「光樹は良い子供じゃったのぅ」  その丸い背中の少し後ろにマスターは膝をついて控えていた。 「深森の子供たちは皆、わしの孫みたいなものじゃ。皆、かわいいわしの―――孫か、ひ孫か。」  高く澄みきった空へ視線を投げて、先生は独り言のようにつぶやいた。  高くそびえるニレの木の葉をそよ風がすり抜けていく。  ばあ

長編小説「きみがくれた」中‐⑭

「涙の底」  夜はどしゃ降りの雨になった。  ドアベルの音に顔を上げたマスターが「やぁ」と言う間もなく、冴子の第一声はやはり「央人は?」だった。  両手に白い包みを抱えた冴子は濡れた服にも構わずマスターに詰め寄り、いきなり不平不満をぶつけ始めた。 「央人のアパートのカギがなかったの、央人帰って来てるの?」  息を荒げて問い質す冴子に、マスターは素直に謝った。 「ごめん、カギは僕が持ってるんだ」 「なにそれどういうこと?央人は?帰ってないの?」 「うん、冴子ちゃんに話してい