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「きみがくれた」中‐⑥

「最後の電話」


 店はランチタイムで賑わっていた。
電話の音が鳴り響き、客席から戻ったマスターはキッチンに戻るのを諦め受話器を取った。

“マスター?!僕だよ!!今着いたんだ!”
 
 受話器越しに聞こえてきたのは激しい雨音と、それに負けないマーヤの大きな声だった。

“マスター、霧島帰って来た?!”

“いや、まだ帰ってないと思うよ!”

 つられてマスターも声を張った。

“すごい雨音だね!”

“うん!!聞こえる?!マスター、こっちは大雨だよ!!”

“僕こんな大雨久しぶりだよ!!”


“大丈夫かい?!”

“うん!!ものすごいどしゃ降りなんだ!予報通りだよ!!”

 あははははとうれしそうに笑うマーヤの声。

 忙しいマスターの顔も自然と笑顔になる。

“でもね、これから晴れるんだ!今夜は快晴だよ!!”
“それに、なんといってもスーパームーン!!”

“ああ、君の期待通りの!”

“僕うれしくてドキドキしてるんだ!”
“条件は最高に最高だからね!!”
“きっとこれまでにない史上最高の絶景が見れるよ!!”

 受話器の向こうではしゃぐマーヤの声を、マスターもうれしそうに聞いていた。

“ついに長年の夢が叶うんだね”

“そんなことよりマスター!聞いてよ!!”

 マーヤのさらに大きな声にマスターは耳から受話器を離した。

“僕ね、すっごいの見つけちゃったんだ!!”
 その声はさっきよりも興奮していた。

“あのね!マスターにお願いがあるんだ!サプライズだから!!”
“これほんっとにすごいから!!超ウルトラハイパーサプライズ間違いなしだからね!!”

“サプライズ?”

“そう!これ、今までで一番の最高な誕生日プレゼントだよ!!僕もう今から待ちきれないんだ!!”

“霧島喜ぶだろうなぁー!!あいつの喜ぶ顔が早く見たいよ!!”

ヴ――――――ッ…ガチャンッガチャンッ


“夏目君?お願いって?”

“お店の住所!住所教えて?!送るから!霧島には内緒にしてね?!”

“住所?”

“‘楡の森’から先の住所!手紙も入れておくから、冷蔵庫の中に貼って―――”

“あはははは!!もう10円がないから切れちゃう!!”

“夏目君?!”


“マスター?!僕ね、あのね、さっき着いたばっかりなんだけどもう帰りたくなっちゃったんだ!”

“え?!”

“僕早く帰りたい!帰って霧島の誕生日会やりたいよ!”
“僕霧島に早く会いたい!”

ヴ――――――ッ…ガチャンッガチャンッ


“マスター、霧島はさ、いつも一人でどこかへ行くでしょ!すごいよねぇ!”
“あいつだってすごく淋しがりやなのに!”

 雨音に消されそうなその声を、マスターは優しい笑みを浮かべて聞いていた。

“僕なんか、ずっとここに来たくて、やっと来れたのに、もう帰りたいんだよ”


 マスターは持っていたトレーをカウンターの端に置くと、受話器を反対側に持ち替えた。

“夏目君、央人はね、きっと一人きりになることで、帰る場所があることを…その喜びを感じているんじゃないかな‥きっと、淋しいと思えること、それ自体に央人が一人になることの意味が――”

”それに君という存在がどれほど大きなものか、それを感じる――”

“え?!マスター、なんて?ごめんね、ちょっとよく聞こえなくてね――”

マーヤの声に、マスターは笑みを漏らした。

“え?何?なんて言ったの?”

“いや、なんでもないよ”

ヴ――――――ッ…ガチャンッガチャンッ


“あーこれで最後だ!もうすぐ切れちゃう!!”
“マスター、それじゃ僕すぐ帰るからね!!”


“僕これから山に登るよ!!”

“え?!今から?!”

“うん!あの場所まで歩いて行くんだ!今からならちょうどいい時間に着くと思う!”


“それじゃあこれ頼んだよ!霧島に見つからないように、こっそりだよ!!誕生日会の日に持って行ってね!!”

“手紙は冷蔵庫に”

“アパートのカギはマスターが持ってて!!”

ヴ――――――ッ…ガチャッ――――ッブ―――――――ッ
ツ―――…ツ―――…ツ―――…



 亮介が帰った後の暗い静かな部屋には空調の音だけが聞こえていた。
 眠る霧島の傍らで、マスターは一人、思い詰めた様子で座っていた。

“僕これから山に登るよ!!”

「‥‥‥あの時――俺は止めるべきだった」

 目覚める気配のない霧島に、マスターは小さくこぼした。


“ものすごいどしゃ降りなんだ!”
 
“こんな大雨久しぶりだよ!!”

 
 
「あの時俺は、あの子のうれしそうな笑顔しか浮かばなかった――」



“僕うれしくてドキドキしてるんだ!”

“条件は最高に最高だからね!!”

“きっとこれまでにない史上最高の絶景が見れるよ!!”
 
 
 
 
「あの時、俺は―――‥‥」
 
 
 
“あの子は本当に雨が好きなんだなぁ”
 
 電話の後、忙しさの中へ戻りながら、マスターも笑顔を浮かべていた。
 
 
 
「ごめん―――‥‥央人―――」
 
 
 もっと、強く止めるべきだった――――

 


“マスター?!僕ね、あのね、”

“さっき着いたばっかりなんだけどもう帰りたくなっちゃったんだ!”

“僕早く帰りたい!帰って霧島の誕生日会やりたいよ!”

“僕霧島に早く会いたい!”



 ごめん―――‥‥央人―――――
 
 
 俺はあの時、もっと、もっと強く―――止めるべきだったんだ――――



”霧島に会いたい”


 夏目君――――‥‥‥


「帰りたがっていたんだ――央人に早く会いたいって‥‥―――」


「央人の喜ぶ顔が見たいって―――誕生日会をやるんだって―――」


 音のない暗闇に、マスターの涙に濡れる声がいつまでもいつまでも響いていた。


「止めてあげられなくて―――ごめん―――」

「君を―――帰らせてあげることができなくて―――」

「‥‥ごめん―――‥‥‥」


「ごめん―――‥‥‥」


 マスターの後悔の言葉は止め処なく零れ続けた。

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