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長編小説「きみがくれた」中‐⑧

「居場所」


ヴ―――…ヴ―――…

 低い振動音がして、すぐにマスターの腕が布団から伸びた。
 カーテンを透ける朝日に目を細め、振動音のスイッチを切る。

 ゆっくりと体を起こし、こちらを見上げて、ベッドの上の霧島を確認した。

「おはよう」

 光の中で霧島の顔を覗き込むその表情は、あの幼い日の霧島と重なった。

“生きろ”

“おまえは生きろ”


 前髪の隙間からこちらを伺う怯えた瞳


 濡れたように黒く澄んだ


“おまえは生きろ”


 冷たく震える手の中で、その意思は体中に強く響いた。


 泣き出しそうな瞳

 不安と祈りが入り混じった、強い――

「―――おはよう、央人」

 微動だにしない霧島の青白い顔に、マスターは今朝も溜息をつく。

「―――‥‥」

 マスターは毎日無言で霧島に謝っている。


 霧島の髪をそっと撫で、マスターは置いてあった水のガラス容器を手に静かに部屋を出た。


 枕に納まる霧島の痩せた顎――
 首筋に頬ずりをして、肩に、頬に、額を、頭をこすりつけ、そのまま首元でぴったりと丸くなる。

 大好きな匂い

 光の中の優しい記憶がよみがえる


 “マーヤ、見て!”

 

 幼い霧島の懐かしい声。

 
 縁側の日向ぼっこ

 暖かな陽だまり

“こっち来て!”
“ここから見て”

 
 冷たい手の中に包まれていた。

 光の中でその瞳がきらめいた。

 “きれいだな―‥”


 眩しくて目を細めた。

 “宇宙みたいだ――”


 切れ長の大きな黒い瞳

 その横からくるりと大きな薄茶色の瞳


 穏やかな光を背に、こちらを覗き込む幼い二人の澄んだ瞳―――

 ”ほんとうだ‥!”
 “きれいだね――”


 幼い二人のうれしそうにほころぶ笑顔―――


 寒くて、動けなくて、心細かった
 ひとりぼっちで不安だった

 いつの間にか忘れていた遠い記憶


 “おまえは生きろ”


 霧島の声が今でも耳の奥に残っている。

 
 あの温もりは今も変わらない。

 今日も霧島がここにいる。

 大好きな匂いに包まれて眠る。

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