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【赤い炎とカタリのこびと】#13 去年

※このお話は2023年の12月1日から12月25日まで、毎日更新されるお話のアドベントカレンダーです。スキを押すと、日替わりのお菓子が出ますよ!

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 その夜はよく晴れていて、透き通った空に、星が点々と輝いて見えました。
 コンビニを出た国枝聡子が、買ったばかりのコーヒーの暖かさを両手で保ちながら駐車した車に走ります。車の後部座席には取引先に頼まれて注文したクリスマスケーキの箱と、閉店間際に慌てて滑り込んだ惣菜屋のローストビーフ、それと知り合いの店で買ったお皿が積んでありました。
 運転席に滑り込んでコーヒーをひとくち。それから車の時計を見て「寝ちゃうかな」と呟きました。ノルマに追われた年末の店は大忙しで、相談事やら、急ぎの決済やら、あっという間に時間が過ぎます。それでも土曜はイブだから、と皆をできるだけ急いで帰らせ、店を閉めたらもう真っ暗。泊まりの荷物はもうトランクに積んでありましたから、若い部下に聞いた評判のお店で買い物を済ませて、大急ぎでインターに向かいました。

 仙台から盛岡までおよそ2時間。2時間後には久しぶりの息子に会えます。
 ラジオからはすっかり聞き慣れたクリスマスソングが流れていました。こんなにわくわくするクリスマスは久しぶりだと、聡子は思いました。思えば、一緒にいる間は仕事の合間に準備しようとしている端から時間が過ぎて、買い物をしたりご馳走を作ったりがまるでノルマの延長みたいで苦しくなった年もありました。来年こそは母親らしいことを、と誓いながら、それでも今年はきっと去年よりも上手くやれるに違いないと、そう思いました。

 大きなあくびが一つ出て、コーヒーに砂糖とミルクを入れた方が良かったかな、と思いました。部下のひとりが机の引き出しに小さな板チョコレートをたくさん隠し持っていたのを思い出しました。我慢するより、疲れたら糖分を少し摂った方がいいんですよ、と取り出しては口に放り込む部下を羨ましいと思った気持ちが苦く広がります。『我慢しない』の賜物か、ふくふくと大福のような見た目の子で、何かにつけうっかりしていましたが、愛想を武器に、誰かに頼っては、上手くこなす才能がありました。お礼に、チョコレートを配るのも忘れません。貰えばみんな「しょうがないなあ」などと言いながらも、にっこりしてしまいます。自分もそんな風に生きたかったな、とハンドルの上の自分の神経質そうに痩せた手をちらりと見ました。

 がくん、と一瞬体が傾いた気がしました。ハンドルの上には変わらす痩せた手があって、慌てて視線をフロントガラスに移しました。少しぼうっとしてしまったかもしれない。すっかり冷めたコーヒーをもう一口飲みました。

「新店だから優遇されてる、と思いたくないだろう」昼間、本部からかかってきた電話が耳元で聞こえます。受話器を取る自分の目の前では、外から帰った渉外係が今日の訪問記録を端末に打ち込んでいました。内勤の子が走ってきて今日あった電話を伝えにきました。渉外が申し訳なさそうに笑います。「おい、聞いているのか」と電話の奥で声がしました。

 目が開きました。フロントガラスが結露で白く濁っていました。慌てて空調のボタンを入れ直しました。窓の向こうに高速道路を走る車のライトが星のように浮かび上がって見えました。危ない危ない。いつもこんなことないのだけれど。慣れないことで、余程疲れているのかもしれません。早く悟のところに帰りたい。強烈にそう思いました。ケーキを見て大喜びする息子の姿を思いました。それから母の春子がローストビーフを取り上げてニンマリ笑って、それから。

 いけない。そう気づいた瞬間に閉じていた瞼が開きました。他の車たちの光が右に曲がって流れていくのが見えました。

 静かな夜に、車のブレーキの、悲鳴のような音が響きました。

No.13 去年

このおはなしは、12月の1日から25日まで毎日続く、おはなしのアドベントカレンダーです。

目次
01. ラスト・クリスマス・イブ
02. 大あわてのサンタクロース
03. クリスマス・イブまでの24日間
04. 田中さんの災難
05. 田中さんの仲裁
06. 田中さんの観光
07. 田中さんの焦躁
08.  田中さんの計画
09. 田中さんの行進
10. 田中さんの失態
11. 「続き」
12. 栄転
13. 去年