見出し画像

【赤い炎とカタリのこびと】#10 田中さんの失態

※このお話は2023年の12月1日から12月25日まで、毎日更新されるお話のアドベントカレンダーです。スキを押すと、日替わりのお菓子が出ますよ!

前のおはなし 目次 次のおはなし

 中の橋を渡ってすぐ、新参者のビルたちが、先輩にちょっと遠慮するように取り囲んだ一角に岩手銀行赤レンガ館はあります。赤いレンガの壁に白い横縞。映画や教科書で見たことのある、いかにも古い建物が何気なしに、しかも堂々とそこに建っているものですから、まるでそこだけ時代の流れを忘れたようです。

「……俺たちのこと、忘れたんじゃないだろうな」
見物人の視線を背中に感じながら田中が言いました。大きな声をあげたのに、誰も出てこないのです。階段を登り、入り口の木の扉の前まで行って、気がつきました。
「閉館時間か」
「もう夜ですもんねえ」
いつの間にかサンタ帽の中に入り込んだ校正のこびとが言いました。先っぽが黒く変わった人差し指で建物の天井の方を指差します。
「僕、中にいる時に暖炉をいくつか確認してますよ?」
「何が言いたい?」
「サンタ、サンタ」
「こんな公衆の面前で煙突から入ったら完全に捕まるよ」
「うーん。偽者じゃあねえ」
『本者でも捕まるよ』と言いかけたのをぐっと飲み込んで、今度は田中が建物の上の方を指しました。
「むしろ校正さんがどこか隙間なりないか見てきてよ。『ホンモノ』でしょ?」
「僕は壁のぼりのこびとじゃないですよ」
「いるの、そんなの?」
「どうだろ。いるかな。いないかも」
振り向くと、写真を撮って満足したのか、見物人たちはずいぶん減っていました。階段を降りて、赤いレンガの壁を周りにある低い生垣越しに眺めます。
「二階とか、どこか開いてないかなあ」
「中からカタリが開けてくれるといいんですけど」
「『窓あけのこびと』でなくても開けてくれるの?」
「嫌味ですね、それは」
「さあね」

角を曲がって建物の裏手に回ります。入り口脇に立っているトナカイが心細そうに二人が壁に隠れて見えなくなっていくのを見つめていました。
「いいですか。僕らの名前はそりゃあ大事な、聖なる名前なんですよ」
人気がなくなったのを確認して、こびとが帽子からひょっこり顔を出しました。田中が慌てて帽子がおっこちないように抑えました。
「担当役職みたいなもんじゃないの?」
「違います。産まれた時にはもう決まっているんです」
「へえ。両親がつけるんじゃなくて?」
「僕らに両親はいません」
「うん? なんか悪いこと聞いた?」
「いいえ。僕らは、人間じゃなくて『こびと』ですから。妖精みたいなもんなんです」
「羽が生えて、飛べるとか?」
「いきなりひょっこり、出現するんです。だから親はありません」
「『いきなりひょっこり』?」
田中が頭の上に右手を伸ばして、校正のこびとを確かめるように軽く触りました。
「やめてください。ハラスメントですよ」
「いや。ちゃんと実体があるか確認しとこうかと思って」
「幽霊じゃありません」
「そうだよね」
「でも、幽霊みたいなもんです」
「嘘」
田中が咄嗟にこびとを軽く掴んで頭の上から引き剥がしました。それからまたそっと頭の上に戻しました。
「……ごめん。怖いの、ダメで」
「平気ですよ。怪我してないし。サンタロースの家にある古い本によると、僕らは子供に未練を残して亡くなった人の魂なんだそうです」
田中が一瞬身を震わせました。
「結構露骨に幽霊じゃん」
「幽霊と違って実体がちゃんとあるでしょう? 未練が強い魂は仮初の身体を与えられて、自分の特技を世界中の子供に捧げる機会を与えられます。僕の場合は校正です。神さまが与えた僕の使命です」
「『若くして雑誌編集長になった校正さんは、妊娠中だった妻をも顧みず、毎日毎日仕事に明け暮れて、子供を産むために実家に帰った妻に見限られたことも気が付かず、気づいたらひとりぼっちに……』」
「僕の未練を捏造しないでいただけますか」
「全然はずれ?」
「わかりません」
「わからない?」
「覚えてないんです。こびとになる前のこと」

 シャン、と冷えた空気に透き通った鈴の音がかすかに響きました。田中とこびとが揃ってさっきの入り口の方を見ました。
「トナカイ?」
 田中が言うのと同時に、またシャン、と鈴の音がなり、今度は人の声がしました。まだ子供の、男の子の声です。
「お母さん」
確かにそう聞こえました。

 次の瞬間、一階の窓のひとつが赤く光りました。田中が一瞬光の方に目を奪われて、それから慌ててトナカイのいる側に戻ろうと生垣をぐるりと回り込みます。角を曲がると扉の前でトナカイと、見物人の中にいた男の子が立っていました。ぎいと鈍い音がして、入り口の扉がわずかに開きました。驚いた男の子が弾けるように反対側の道路に逃げ出しました。

「さとる!」
カタリのこびとの声がしました。レンガ館の入り口から小さな影が跳ねて男の子を追っていきました。

「ごめん……」角を曲がったまま、立ち尽くしていた田中が言いました。「どこにも走れなかった。一遍に色々起こりすぎて」
 シャンシャンと鈴を鳴らしながらトナカイが歩いてきて田中におでこを擦り付けました。
「いや、慰めてもらわなくてもいいんだけど」
 トナカイの頭をお礼に撫で返して、入り口の階段を登り、ドアを押すと、足元に丸まった紙のようなものが落ちています。もう見慣れた羊皮紙でした。拾い上げて近くの街灯の下で広げてみると、書き直された数字とこびとのハンコ、それと田中のサインの他にこんなことが書いてありました。

 昔、お母さんと男の子がいました。
 とてもても仲良しで、いつも一緒でした。
 男の子はお母さんが大好き、お母さんも。
 だけどお仕事が忙しくて、たまに離れ離れになりました。
 離れている間、お母さんはたくさん働いてたくさんお金を儲けました。
 お金を儲けて、大きな家に住むんです。
 男の子が大好きな、赤レンガでできた、大きな家。
 大きな家に住めるようになったら、今度は男の子を迎えに来てくれます。
 男の子の大好きなお馬さん。昔、おばあちゃんの住んでいる街で見た、チャグチャグ馬コのお馬です。

「……追加されてる」
田中がつぶやくと、頭の上から校正のこびとが覗き込みました。
「『否認』のハンコはまだありませんね?!」
こびとに言われて田中が慌てて羊皮紙を見直します。確かに『否認』の黒いハンコは見当たりません。こびとが安堵の声を漏らしました。
「なら、セーフです。まだセーフ」
「つまりこれ……」田中が注意深く羊皮紙を丸め直しながらこびとに聞き返します。「ほんとだってこと?」

「赤い炎とカタリのこびと」No.10

このおはなしは、12月の1日から25日まで毎日続く、おはなしのアドベントカレンダーです。

目次
01. ラスト・クリスマス・イブ
02. 大あわてのサンタクロース
03. クリスマス・イブまでの24日間
04. 田中さんの災難
05. 田中さんの仲裁
06. 田中さんの観光
07. 田中さんの焦躁
08.  田中さんの計画
09. 田中さんの行進
10. 田中さんの失態