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【赤い炎とカタリのこびと】#04 田中さんの災難

※このお話は2023年の12月1日から12月25日まで、毎日更新されるお話のアドベントカレンダーです。スキを押すと、日替わりのお菓子が出ますよ!

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「『校正のこびと! そこにいるんだろう!? いるなら返事をしろ!!』」
飴色の木の壁に組み込まれた、大きな金庫の扉の、その上にある小さな金庫の扉に向かって、田中正直が叫びました。『岩手銀行赤レンガ館』と呼ばれる昔の銀行建築の一室でした。立派な赤煉瓦の建物に、田中の大きな声が響きます。誰もいないタイミングを見計らったものの、気まずさに耐えきれなくて、田中はこほん、と咳払いをしました。

※ ※ ※

 つい、一時間ほど前のことです。田中が事務所の机で年末調整の書類に頭を抱えていると、突然甘い匂いが鼻をつきました。ノートパソコンの横に、見慣れたクッキーのドアが現れたのです。
 タダ働きの予感がする。
 自営業の本能が危険を察知していました。素早く席を立って逃げ出そうとする、それよりも早くクッキーのドアが開いて、中から聞き慣れた声がしました。
「田中! サンタクロースのこびとの長が来てやったぞ!」
 ここで逃げると余計に面倒臭いことになる。
 自営業の本能がさらに訴えていました。観念して席に座ることにしました。
「お仕事のご依頼ですか?」
 ここ数年で鍛えた営業スマイルで応えます。
「ボランティアだ!」
 あっさりとこびとの長が言いました。眉をひそめる田中に更に続けます。
「いいじゃないか。長い付き合いなんだから!」
「長い付き合いで、いいことだったことなんて一度もない」
田中が口を尖らせました。こびとの長がキッパリと言いました。
「仕方がないだろう。頼りになるんだから」
「え? 本当に?」
田中の頬が嬉しさに赤らみます。
「本当にちょろいな」
こびとの長が小さな声で呟きました。
「え? 今なんて?」
「なんでもない。緊急事態なんだ。ちょっと行って欲しい所がある」
「自分で行けば? 便利な魔法のクッキーのドアがそこにあるだろう」
「12月だぞ。サンタクロースのこびとがどれだけ忙しいと思ってるんだ」
「そうだ12月だ。個人事業主がどれだけ忙しいと思ってるんだ」
ぐ。と、こびとの長が言い淀みました。田中はちょっと気の毒になりました。
「……遠いのか?」
「近いよ。北極よりは」
「足代、出る?」
「もちろんだとも」

※ ※ ※

 はっくしょん、と、さっきの大声よりも大音量でくしゃみが出ました。名古屋も寒いと思っていたけれど、尋常じゃない寒さです。靴の裏から冷たい。ろくに服装の準備もできませんでした。
「寒いよ。盛岡」
 田中がハンカチで鼻を押さえてすすりました。外で待っている、つぶらな瞳のトナカイのことも思い出しました。
「あれには二度と乗らないぞ」
 こびとの長に言いくるめられて、跨った瞬間のことがフラッシュバックします。大学生の時に沖縄で遊んだバナナボートのようでした。はるか上空で、手を離したら真っ逆さまのバナナボートです。

 きい、と金属の音が響きました。
 壁の上部にある小さな金庫扉が開いたのでした。中からこびとの長に似た、とはいえずっと気弱そうで真面目そうな顔をしたこびとが顔を出しました。
「やあ」
 田中が手で挨拶をします。
「……誰?」
 こびとが訝しげにいいました。田中がにっこり笑って言いました。
「田中と言います。あんたの上司に、手伝えって言われて」
「誰?」
 更に違うこびとが顔を覗かせました。さっきのこびとより一回り小さく、高い声をしたこびとでした。
「田中です」
 田中がまた繰り返します。小さい方のこびとが訝しげに言いました。
「私たちを見て、驚かないの?」
「慣れてるんで」
 ふうん。小さい方のこびとが頷いて、田中の方をジロジロ眺めました。
「まあ、いいや」
 そう言って、一旦金庫の方に戻って、何やら書類を持って、ひょい、と小さな金庫を飛び出てきました。
「ボスに頼まれて来たんなら、話は聞いてる。これにサインして」
さっと、持ってきた書類を広げます。小さな、羊皮紙のようでした。ほとんど何も書かれていないように見えます。
「サイン?」
「そう。手伝えって言われたんでしょ?」
「そうだけど……」

 嫌な予感がする。自営業の本能が告げていましたが、サンタクロースのこびとの言うことです。悪いようにはしないだろう、と田中はポケットの中のボールペンを取り出して、小さい方のこびとに言われるままに、羊皮紙の隅っこにサインをしました。
「やった!」
小さいこびとがぴょんと跳ね上がります。無邪気だな、と田中は思いました。
「喜んでいただいてどうも。君が『校正のこびと』?」
小さいこびとがにっこりと笑います。
「わたしは『カタリのこびと』。校正はあっち」
カタリのこびとが自分の出てきた金庫を指差しました。金庫の中の真面目そうなこびとの顔色が真っ青に変わっていました。あははは、とカタリのこびとが笑いながら続けます。床に広げた羊皮紙を指しました。
「で、これが魔法の羊皮紙。クリスマスまでに私の言うことを本当にしないと、サインした人が石炭になる。ボスに田中さんに書いてもらえって言われたの。そうしたら手伝ってもらえるからって」
「は?」
田中が声を漏らすと同時に、金庫の中の校正のこびとが声を張り上げました。
「い、今のはみんな嘘です!」
「嘘?」
田中がまた声を漏らすと、校正のこびとが付け足しました。
「こびと長がそんなこと頼むはずありません!」
「そうだよね」
「でも、石炭になるって言うところはほんとです!」
「余計なこと言わないで!」
ぎゃあぎゃあとこびとたちが口喧嘩を始めました。


もう二度とこびとの言うことは聞かないぞ。と田中は思いました。

「赤い炎とカタリのこびと」No.04

このおはなしは、12月の1日から25日まで毎日続く、おはなしのアドベントカレンダーです。

目次
01. ラスト・クリスマス・イブ
02. 大あわてのサンタクロース
03. クリスマス・イブまでの24日間
04. 田中さんの災難