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鈴木秀之のノート。

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(令和3年3月14日〜)
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2022年1月の記事一覧

美しい背中。

美しい背中。

今から5年前のこと、
あるご縁があり、パート契約で
学習塾講師として勤めることになったときには、
お仕事でスーツを着るので、
持っているもの以外にも欲しいと思い、
スーツ新調しようと、ある百貨店を訪れました。

百貨店では、じぶんの好きな
洋服ブランドさんのお店があり、
スーツもそこで買いたいと思って、
「スーツ、お願いしたいのですが。」
と、スタッフさんへ伝えると、
ご対応いただいた女性スタッフ

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「教える」と「教えない」の考察。

「教える」と「教えない」の考察。

ぼくは、パートで
学習塾講師として働いている、
ということもありまして、かねてから
「教育」に興味がある。

とは言ってみても、
「教育」とか、「教える」とか、
と言うと、なんだか、ちょっと、
上から目線的というか、命令的というか、
そんなふうにも感じながら、
じぶんとしては「教育」に関して、
よいイメージを持ってない気もしている。

それは、おそらく、
「教育」の【教】という漢字が、象形文字では

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どうしたらよいかわからない問題。

どうしたらよいかわからない問題。

パート契約での学習塾講師として、
日々、小中学生の生徒さんたちに、
勉強を教えているけれども。
学習塾にて勤めながら、「教える」とは
とてもむつかしいことだなあ、と、
日々、実感している。

たとえば、中学生の数学でね、
問題の解き方がわからない、と訊ねられて、
まずは、この「解き方を教える」というのが、
むつかしい。ぼく自身が、ほんとうに
ちゃんとその問題のことをわかっていて、
しかも、生徒がわ

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問題と、人生と、永遠と。

問題と、人生と、永遠と。

「問題」と言うのもね、
学校のテストとか、クイズとか、のように、
答えが定められている問題と、
はたまた、たとえば、
人生とは何か? のような、
答えが明確には定まらない問題があって。

どちらの場合の「問題」も、
むつかしいにはむつかしいけど、
どちらかと言えば、
答えるのが、よりむつかしいのは、
答えが定まっていないほうかなあ。

答えが定まっている、ということは、
どこかに「正解」があって、

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「けっきょく、答えは何ですか?」と言ったこと。

「けっきょく、答えは何ですか?」と言ったこと。

高校生のとき、
ぼくは理系のクラスで、
数学は得意ではあったけれども、
国語が、とくに、苦手で。

たとえば、今でこそ、
本を読むようになって、
文章を読む、というのも、
するようにはなったけど。でも、やっぱり、
文章を読んで考える、というのは、
今もなお、むつかしいなあと思いながら、
当時を振り返れば、文章を読む、とか、
論理的に考える、とか、本当に苦手だった。

今でもなんだか覚えているのは、

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「本心」とは。

「本心」とは。

「腹を割って話す」ということばが、
ぼくは、なんだか苦手だ。

「腹を割って話す」ときの内容は、
その人の「本心」なのだと思うけれども。
「腹を割る」って、そもそも、
大手術じゃん。そんな大手術のごとく、
腹を割ったならば、その
腹を割った箇所を、あとで、また縫って、
元どおりにしないといけない。
というような、そこまでの工程を考えると、
「腹を割る」なんて、そうそう、
できることでもないなあと思

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折り合い。

折り合い。

昨日のブログでは、「心」とはなにか?
みたいなことを書いたのですが、依然として、
「心」とは、なになのか、
「心」とは、どこにあるのか、
「心」は、あるのか、ないのか、
って、やっぱり、よくわからない。

たとえば、「心」というのは、
「気持ち」のことなのか、
「感情」のことなのか、それとも、
「心臓」のことなのか、
「脳」のことなのか、はたまた、
「精神」であったり、「魂」であったり、
というも

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心は、目に見えるか?

心は、目に見えるか?

心は、目には見えない。

目に見えないのは、
心は、身体の内部にあるから。
とは言ってみても、
身体の内部を見たとしても、
そこでは、心臓は動いている、としても、
心は、無いのやもしれない。

いや、ぼくは、
身体の内部を見たことが無いから、
ほんとうのところはわからないな。

心は、どこにあるのだろうか。

はたまた、
心とは、なんなのか。

心自体は、
目では見られないけど、たとえば、
表情と

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果物の食べごろ。

果物の食べごろ。

きのうのブログでは、お魚やお肉を調理するときに、
その中身が見えないから、
火の入り加減がわからなくって、
むつかしい! というのを書いたんですが。

中身が見えない、と言えば、
お魚やお肉だけでなくって、
果物、たとえば、
アボカドがそうだなあー。

じつは先日、
アボカド、傷ませてしまって。
当初には緑色だったアボカドをね、
まだまだかなあ? と思いながら、
置いておいたら、いつのまにやら

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見えない火の入り加減。

見えない火の入り加減。

お料理について、
まったくの素人のぼくは、
調理の何もかもがむつかしいのですが。
とくに、たとえば、
お魚やお肉の火の入り加減って、
わからないなあ。

生煮えではよくない、
って思いながら、ぎゃくに、
火を入れ過ぎてしまって、
素材が固くなることもあるし。

内部は見えないんだから、
どのくらい火が入っているか? って、
目では確認できないし。ともすれば、
外側からわかることがあるのか、もしくは

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寝て、待て。

寝て、待て。

この寒さも関係してるやもしれないけど、
さいきんもまた、
疲れがあって、余裕はなくって、
けっこう、いつも、眠たい。

眠たいときはさ、
寝ちゃうー。

そんなときには、
「果報は寝て待て」
ということばが、ぼくの希望だ。

いや、とは言っても、
その「果報」というのも、
あんまりよくわかっていないけれども。
それは「果実」の「果」でもあるし、
なんだか、よいイメージ?!

すこし調べてみると、

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煮詰まるまで、煮詰めたら。

煮詰まるまで、煮詰めたら。

ぼく個人の用事としての
「やるべきこと」ってゆうのは、
ぼく自身がやらないかぎり、
先には進まない。

だれかがやってくれることもないし、
ましてや、ぼくの寝ているあいだに
小人さんたちが完成させていた、
ということも、ない。

たとえば、
部屋が散らかったまま、
旅行へと出かけて、帰宅すれば、
部屋は散らかったまま。のことと、
おんなじなのやもしれない。

とは言っても、その
やるべきことをやり

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お風呂とおでん。

お風呂とおでん。

お風呂って、
いざ入ろうとするときにはさ、
どこか面倒に思えるときもあるけれども、
でもやっぱりこんな冬の時期には、
あったまるから、すきー。

いろいろな暖房器具あれども、
身体の芯まであったまる、というのは、
お風呂が一番なんじゃあないか、
って想っている。

あったかいお風呂につかっているときは、
なんだか、じぶんが、
おでんになったような気分だ。

おでんの具の、
大根のごとく、
湯の熱が

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健康。

健康。

このごろのブログでは、なんだか、
「健康」について書いている。

そのブログの中でも書いているけど、
「どうか、健康ですごせますように。」
というのをね、
切実に、想っている。

「健康」って、でも、
ぼく自身の身体のことだけでないよなあ、
って思われる。

たとえば、ぼくが、どんなに
健康にきづかいながら、
暮らしていたとしても、
怪我や病気もするのだろうし、
身体も老いてゆくのだろうし、そして

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