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「本心」とは。

「腹を割って話す」ということばが、
ぼくは、なんだか苦手だ。

「腹を割って話す」ときの内容は、
その人の「本心」なのだと思うけれども。
「腹を割る」って、そもそも、
大手術じゃん。そんな大手術のごとく、
腹を割ったならば、その
腹を割った箇所を、あとで、また縫って、
元どおりにしないといけない。
というような、そこまでの工程を考えると、
「腹を割る」なんて、そうそう、
できることでもないなあと思えるし。
そして、
腹を割った内部の臓器は、
やっぱり、あんまり見たくない。

「本心」というのは、
腹の中にあるのだろうか?

ぼくのイメージですと、
「腹の中」にきちんとしまわれていて、
それを取り出す、
みたいな感じではないなあ。

つまりはさ、「本心」とは、
どこか一箇所に置いてあるんでなくって、
じぶん自身の身体全体に、
心にまつわるあらゆる情報が散らばっていて。
それらを、まとめて、編集されたものが、
私の「本心」である。的な?!

逆を言えば、
じぶんで「編集」しなくとも、
口調とか、声とか、表情とか、仕草とか、
によって、「本心」的なものが、
すでに滲み出てしまっていて。
じぶんの知らない「本心」が、
相手に届いていることもあるやもしれないか。

「腹を割って話す」ときの内容って、
たいてい、つよい不満だ。

ぼくだっても、かつて、
腹を割って話そうとして、
相手を責めるように、不満をぶつけるように、
話してしまったことがあって。そのことは、
後悔というか、反省というか、申し訳なさというか、
いや、今さら、後悔しても、
もう、どうしようもないのだけれども。
ほんとうは、もっと、そういうような
「つよい不満」のような物事のその先に、
じぶんのほんとうの「本心」があって。
その「本心」のことを、
もっと、考えないといけなかった。
というのを想っていて。

このときのことがあるから、
「腹を割って話す」というのが、
苦手だと思うようになったのやもしれない。
って、このブログを書きながら、
思い至ったりしながら。。。

「本心」とは、なんなのか、
やっぱりよくわからないな。

令和4年1月26日


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