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心は、目に見えるか?

心は、目には見えない。

目に見えないのは、
心は、身体の内部にあるから。
とは言ってみても、
身体の内部を見たとしても、
そこでは、心臓は動いている、としても、
心は、無いのやもしれない。

いや、ぼくは、
身体の内部を見たことが無いから、
ほんとうのところはわからないな。

心は、どこにあるのだろうか。

はたまた、
心とは、なんなのか。

心自体は、
目では見られないけど、たとえば、
表情とか、ことばとか、によって、
心が表れていることは、
あるのかもしれないなあ。

表情とか、ことばとか、動作とか、皮膚とか、
ってえのはさ、人間の
身体の内部と外部との境界線だから。

でも、そこにも、
嘘があったり、齟齬があったり、演技だったり、
ポーカーフェイスだったり、というような、
心が、完全には表れていない。
とも思えるし。また、たとえば、
「口角を上げる」とか、
「言ったことば」によって、
じぶんの状態が変化する的な、つまりはさ、
表情やことばが、心に作用を及ぼす。
ということもあるのやもしんない。

心が先にあるのか、
心は後から作られるのか、
って考えてみると、それは、
「にわとり」と「たまご」の関係性と
近いような気もするなあ。

たとえば、
犬は、尻尾によって、
心がだいたいわかる、
みたいなこともあるけれど、
人間はそうもゆかなくって。

人間の心は目に見えなくって、
よくわからない。ともすれば、人間の
表情とか、ことばとか、動作とか、皮膚を介して、
相手の心、そして、じぶん自身の心さえも、
見つめようとしている。とも言えるかなあ。

なんだか、うまく言えないけど、
こういうようなことを考えてみたの〜。

令和4年1月24日


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