見出し画像

どうしたらよいかわからない問題。

パート契約での学習塾講師として、
日々、小中学生の生徒さんたちに、
勉強を教えているけれども。
学習塾にて勤めながら、「教える」とは
とてもむつかしいことだなあ、と、
日々、実感している。

たとえば、中学生の数学でね、
問題の解き方がわからない、と訊ねられて、
まずは、この「解き方を教える」というのが、
むつかしい。ぼく自身が、ほんとうに
ちゃんとその問題のことをわかっていて、
しかも、生徒がわかるように伝える、
というのはやっぱりむつかしい。

でも、伝えて、教えて、
その結果、生徒さんが
「わかった」と成っても、
それだけでは足りない、とも感じている。

説明を聞いて「わかった」としても、
そこからまた、じぶん自身で
「解く」ことができるかどうかは別問題で。
つまりはさ、「わかる」と「できる」は、
ちょっと、ちがう、というか。
ともすれば、生徒さんが、
「わかる」ように教えるのではなくって、
「できる」ように教えられたら、と思いながら、
それは、さらに、むつかしい。

その問題、及び、それに似た問題を
「できる」ように成った、ともしても、
次の別の問題で「わからない」となれば、
この問題について教える、として、そうすると
「わからない→教える→わかる→できる→わからない→」
という流れが発生してしまって。
「わからない問題」は、
誰かから教えてもらわなければ、
できなくなってしまうのではないか。
という危機感もあって。

ともすれば、
「わからない」ことを、じぶん自身の力で
「わかる」ことができるように成るために、
教えなければならないか。
ってゆうのは、もう、ほんとうに、
むつかしい、というか。
いや、ぼくは、申し訳ないんですが、
それに成功したことは無いのやもしれない。

そもそもを言えば、ぼく自身がさ、
「どうしたらよいかわからない事態」
に出くわしたとき、どうしたら、
「どうしたらよいかが『わかる』」か?!
ってえのが、わかっていないから、
そういうのも、教えられないのだろうなあ。
とも思ったりする。

経験したことがない不測の問題に対して、
どうしたらよいか? を、
考えることができるように成るためには、
どうしたらよいの?????

令和4年1月29日


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?