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煮詰まるまで、煮詰めたら。

ぼく個人の用事としての
「やるべきこと」ってゆうのは、
ぼく自身がやらないかぎり、
先には進まない。

だれかがやってくれることもないし、
ましてや、ぼくの寝ているあいだに
小人さんたちが完成させていた、
ということも、ない。

たとえば、
部屋が散らかったまま、
旅行へと出かけて、帰宅すれば、
部屋は散らかったまま。のことと、
おんなじなのやもしれない。

とは言っても、その
やるべきことをやりながら、
煮詰まって、つまり、行き詰まって、
ちょっと休もうと思いながら、
すこし横になって寝て、そして、
起きたあとにはけっこう作業がはかどる。
みたいなことも、たびたびあって。

そういうときにはさ、
作業自体はじぶん自身がやっているけれども、
さっきまではあんなにできなかったものが、
今は、不思議とできちゃう、なんてのは、
寝ているあいだ、小人さんたちが
ぼくの頭の中で作業をしてくれていた!
というような感覚を思うのよね。

でも、それも、
ちょうど「煮詰まった」的な
タイミングでないと起こらなくって。
なんにもしないまま、寝ても、
なにかが起きることはない。

「煮詰まる」ということばは、
「十分に議論した結果、結論が出る状態になる」
というのが語源だと聞いたことあるけれども。
その物事を「煮詰まる」まで煮詰めたら、
あとは、寝かせるだけ。
という作業工程の手順なのかもしんないな。

煮詰まるまで考えたら、
その考えたことを、
寝かせるようにして、
寝たい〜。

そうすれば、
起きたときには、
なにかが起こっている?!

令和4年1月20日


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