問題と、人生と、永遠と。
「問題」と言うのもね、
学校のテストとか、クイズとか、のように、
答えが定められている問題と、
はたまた、たとえば、
人生とは何か? のような、
答えが明確には定まらない問題があって。
どちらの場合の「問題」も、
むつかしいにはむつかしいけど、
どちらかと言えば、
答えるのが、よりむつかしいのは、
答えが定まっていないほうかなあ。
答えが定まっている、ということは、
どこかに「正解」があって、
その「正解」へとたどりつくためには、
知識や解法を勉強したり、
誰かに教えてもらったり、あとは、
「フィフティ・フィフティ」
「オーディエンス」「テレフォン」などなどの、
ヒントだっても用意されているやもしれない。
ファイナル・アンサー?
でも、正解が、
定まっていないならば、
どうやって答えたらよいものか。
その人の、
思考とか、思想やら、感性とか、状況とか、
によっても、答えは変わってくるだろうし。
また、答えることで、
そう答えたことによる責任がのしかかる、
みたいなこともあるかもだし。
あえて、答えない、という選択肢も、
あるやもしれないし。
こう答える、ってゆうものを、
じぶん自身で決める。というか。
そういうのはさ、
正解が定まっている「問題」に答える、
というものとは、また、ちがった
むつかしさがあるように思われる。
そして、
さらにむつかしいのは、
じぶん自身で「問題」を立てることだ。
たとえば、えーと、
うまくたとえが出てこないけど、
「この場面では、じぶんは、どうすべきか?」
のような「問題」を立てながら過ごすのは、
大切なことだとは思うけど、
とってもむつかしい。
Mr.Childrenの1999年リリースのアルバム
『DISCOVERY』収録の『I'll be』という曲には、
【人生はいつもQ&Aだ 永遠に続いてく禅問答】
という歌詞があるけれども。
「Q&A」からの、さらに、さらに、そこへ
「Q」が繋がってゆくかのような、つまりは、
人生はいつも「Q&A&Q&A&Q&…」かもしれないな。
人生はフリースタイル 孤独でも忍耐
笑いたがる人にはキスを!!!!!
令和4年1月28日
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