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WHOの健康の定義に欠けているものは?


皆さんこんにちは
北海道・若手治療家コミュニティ
花田隼人(@hokkaido_wakate)です。

WHOの掲げる「健康の定義」。
一度は、目にしたことがあるかと思います。

単純に、病気ではない、弱っていない、ということではなく。
肉体的にも、精神的にも、社会的にも、
すべてが満たされた状態である事。

というやつです。

しかし僕は治療家として、

この定義で本当によいのか?

という疑問を感じるシーンは多々あります。


今日はそこについて
「私見」をお話ししたいと思います。

あくまでこれは
花田個人の考えです。

ご参考までにお願いします。



①健康かどうかは誰が決めるのか?


そもそもこの、

単純に、病気ではない、弱っていない、ということではなく。
肉体的にも、精神的にも、社会的にも、
すべてが満たされた状態

にクライエントがあるのかどうかは、
いったい誰が決めるのでしょうか?

医師ですか?
家族ですか?
国ですか?
法律ですか?

それともクライエント本人ですか?

わが身を「健康」と思うかどうかは
国際的な尺度で測られるべきものなのでしょうか? 誰かに決められるものなのでしょうか?

花田は、

自分自身が、自分の体をどう感じているか?
が重視されるべき
だと考えます。

例えば、治療院に数回通って困りごとが緩和された時点で「健康になった」と満足する方もいれば、治療家が提示した様々な関連要素も全て解消されるまで不健康を感じる方もいます。

何をもって健康とするかは、クライエントの健康観によって千差万別です。

我々は体の本質的な改善を考えつつ、経営という綺麗事では済まされない背景も考慮して、クライエントの健康観に対して茶々入れをしているわけです。

ですから、まずはクライエントが主観的に感じている「健康であるかどうか」の判断を尊重しつつ、その上で専門家として高い視座から健康のコントロールについて論じるべきであって、

「自分自身が健康であるかどうか?」は、他者の評価だけで決めつけられるものではないと花田は考えます。



②そんな状態、本当にあるの?


「肉体的にも、精神的にも、社会的にも、
すべてが満たされた状態」

そんな状態、本当にあるのでしょうか?

現代医療はあらゆる身体の変化に
「病名」をつけて活躍の場を広げています。

ざっくり言えば
「何でもかんでも病気にして治療対象とする」
という医療業界全体の流れは、逆らえない勢いがあります。

医療も商売ですから。
今は小さな肌荒れですら
医療が介入する時代です。

さらに「社会的に満たされた状態」。
これは非常に相対的なものです。

貧しい暮らしをしていても、
福祉の充実度が乏しくても、
「幸福だ」と感じて生きている人も
いるでしょうし、

いかなる手厚い社会的な施しがあっても
それに不満足を感じる人は存在します。

そんな人類にとって、

「肉体的にも、精神的にも、社会的にも、
すべてが満たされた状態」

など本当に実現しうるのでしょうか?



③健康の「維持力」という視点


健康は維持できるからこそ価値があります。

永続的に健康でありつづけることは
不可能だとしても、

健康を享受し続けるための
「対策」を打てるかどうかは
健康という大きな枠組みの中で
重要な要素だと思います。

「薬を飲む」が
その対策である人もいるでしょうし
「運動をする」が
それである人もいるでしょうし
「マッサージを受ける」
の人もいるでしょうし
「人間関係で悩まない」が
健康でいる条件の人もいるはずです。

そうした「健康の維持力」
健康をより確かに享受するために
必要な要素
だと考えます。

この「維持力」なしに
「健康とは何か?」を定義すると

「本質的に健康であるかどうか」ではなく
「健康という現象」を表面的に論じる
とどまってしまうと花田は考えます。

一時的な湿布薬や痛み止めで症状から逸脱したような「健康になった現象」を提供したいのではなく、

本質的に、根本的に体を変えた上で
悩んでいた症状との関係性を見直したい。
そのお手伝いがしたい。

我々のような治療家は
きっとそんな健康観でクライエントと向き合っているはずです。


足りないのはこの3つ!だと思う!


以上に述べました通り、

■健康かどうかは本人が決めるもの
■肉体、精神、社会の全てが満たされることは無い
■健康の長期的な実現性

という課題を
花田はWHOの定義に感じるわけです。


よって花田が示したい健康の定義は

単純に、病気ではない、弱っていない、ということではなく。
肉体的、精神的、社会的に満たされていると
主観的に感じ、その判断に自信を持ち、
かつその維持・管理に向けて取り組める状態。


これが健康の定義に
なりうるのではないかと
花田は考えています。


いかがでしょうか?


当然この「健康とは何か?」の問いに
正答など存在しません、

WHOさんも世界で共通するレベルの定義を
試行錯誤して練りに練って作ったはずです。

中東の国々からはこのWHOの定義に対して
「霊的にも満たされている」を追記すべきだという主張も、事実あったくらいです。

そのくらい文化によって、個人によって、
健康に対する考え方は異なります。

その違いを我々は日々臨床でさまざまな価値観をもつクライエントと接し、感じているはずです。

ぜひ皆さんなりの定義も
どこかでお聞きしたいですね。



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