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治療家のための文化人類学~健康観の文化的差異~

文化によって
「何を健康とするか?」は異なります。

世界を例にみて、
その健康に対する観念は
一体どのような多様性があるのでしょうか。










WHOの健康の定義は適切なのか?

WHOが定義する「健康」は、
皆さんがご存じの通り、
以下のように定められています。

単純に、病気ではないとか、弱っていないとか、ということではなく。肉体的にも、精神的にも、社会的にも、すべてが満たされた状態である事。

これはすなわち、

  • 肉体的な健康

  • 精神的な健康

  • 社会的な健康

に区別して考え、
すべて独立した存在であると考えることです。

しかし、
この定義ではカバーされない分野があります。

それが、
健康について
独自の考え方が浸透している
個々の文化の中での「健康」です。






文化独自の健康観

例えば、

「心理的なストレスが体に異常をきたす」

という考え方は、
その最も身近な例といえます。

「精神的な健康」が
満たされていないために
肉体的な健康が脅かされることがある、

という考えは、

健康が、
肉体的、精神的、社会的など
独立して区別されるものではなく

相互に関与しあい、
明確な線引きができないもの
である
と考えることです。

心は臓器に宿ると考える民族が
臓器にダメージを受けた時、
身体的だけでなく、
精神的な負傷を伴います。

恨みを買って人間関係が悪化すると、
身体に異常が生じると考える民族にとっては、

社会的健康と肉体的健康は、
別次元で考えられるものではありません。

同じ40代での妊娠・出産も、
先進国と途上国では
母子のリスクが大きく異なります。

社会の仕組みが、
その国の健康観にも影響を与えます。

太っていることは
健康の証と考える文化もあれば
それを「肥満」として
治療対象とする文化もあります。

それらを
全てバイオメディスンの
物差しに当てはめて
「健康」「不健康」と判断することは、

文化的視点を通すと
非常に難しく、多様的
になります。





健康とは「状態」ではなく「概念」

「文化」という視点を加えて、
「健康」を再認識しようとした場合

  1. 健康の要素を「身体」「精神」「社会」に区別するのは難しい

  2. その集団、その民族、その文化によって「健康」のイメージは変わる

  3. その国の経済力、国際的立場、社会制度の影響を受ける

という3つの前提が生じます。


つまり「健康」は、

「健康な状態とは?」として
WHOが示すような「〜な状態」
という表現で賄いきれるものではなく、

その集団の
文化的背景をもとに作られる
「概念」であり

何を健康とするかは、
その文化や社会背景の影響を受ける
というわけです。

文化人類学において
「健康」とは、

身体、精神、社会という
3つの要因からなるものではなく、

そもそもこんな区分がなく、
生活や信教、社会背景は基づいて
日々変化しながら創られていくものであり、

世界共通で、
「これが揃っていることが健康である」
という定義づけをすることは
“できない”と考えます。

ある時代、ある国の地域で
「これが健康だ」という概念があっても、

時代の流れや
社会情勢が変化すれば
「健康とは何か?」という考え方は
変化していくものだと考えます。

数々の患者の「健康観」を聞く
我々治療家は、

このような個々人の
その時その時の考え方によって、

「なりたい姿」が変わっていく、
人によって異なるということを、
日々経験しているはずです。





統合的健康観と分割的健康観

このような、
無数の要因によって成り立つ
健康像は「統合的健康観」

いくつか特定の要因に
切り分けて既定してしまう
健康像を「分割的健康観」

と、呼ぶことができるでしょう。


分割的健康観の
最大のデメリットは、

「肉体的」「精神的」「社会的」という
3要素に限定してしまうものであり、

これらに分類しがたい要素によって
健康のイメージが形作られている場合に、
フレームが活用できなくなることです。

文化人類学について学問すると、

文化的、宗教的、観念的、
社会背景的、経済的、
国際情勢的な要素によって
「健康」は大きく異なることを学びます。

それらの多くは、
WHOの基準に従えば
「社会的な健康」に含めることになります。

むしろ「社会的健康」こそ、
健康を既定するバックボーンとして
非常に重要なポジションを占めており、

社会が「健康とは何か?」を決めるからこそ、
初めて肉体的、精神的な
健康について語ることができます。

文化人類学、
こと「医療人類学」とは、
WHOが定める「社会的な健康」を
より広く深く掘り下げて、

いかに「社会的な健康」を前提に
肉体的、精神的な健康が成り立つのかを
地球規模、人類規模で検討するものです。







職場の「健康観」は普遍的か

多くの会社はそのビジネスによって
地域社会に何をもたらしたいのか、
「ミッション」や「ビジョン」を持ちます。

その一つとして、

「根本的な原因まで解消することで
 一時的ではない本質的な改善を届ける」

といったような価値を
患者に提供しようとするグループ整体院は
日本全国に数多く存在します。

そのような治療院では、

「根本治療プログラム」を患者に提案するも、
その価値を理解してもらえない。
短期的な通院で終わってしまうことに
歯痒さを感じる場面も数多く存在します。

「根本的に改善する価値」が
相手に伝わっていないと考えて、
ときにはスタッフの評価にさえつながります。


さて、
「健康の形は人によって異なる」という、
文化人類学における健康の在り方で考えたとき、

このような
「健康の提供プロセス」は
果たして最適と言えるでしょうか?

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