連載十五回 「再会のまち」
◆一九九三年 九月釧路にて
まだ彼は来ていない様だった。
だから僕らは釧路駅の「くしろよろしく」と書かれた、冗談のような場所の袂でJを待つことにする。この「アナグラムが(上から読んでも下かも呼んでも同じ言葉になる)、この町には何か所も秘密裏に存在するんだ」と以前Jから聞いたことがあったからだ。
僕らの特急おおぞらは午後一時過ぎ、順調に釧路駅に着いた。札幌ー釧路間は特急で(昼間なら)約四時間の旅路である。
昨晩のこと。午後一時過ぎに釧路駅にて待つー、Jはそう言ったのだ。札幌駅の公衆電話で、指示された番号へダイヤルを回すとちゃんと繋がった。多分スナックか何かなのだろう。ガヤガヤとした酒の場に歌謡曲の音が混じっていた。電話口に出たのはバカでかい声の女性で、僕は一瞬ひるんでしまう…。
「あの、Jの友人の弘樹といいます」
そう伝えると、彼女の声はがらっと変わり「あら遅かったじゃない、はいはい、ちょっと待ってちょうだいね」と甘い声で応対してくれた。
「Jちゃーん、ほら恋人から電話が来たわよー」茶化すような大きく響き渡る声が、受話器の口を押さえてもがっつり聞こえてきた。当時の僕らの電話事情といえば、僕は持っていたツーカーの携帯を解約していたし、奴の方はというとそもそも電話番号を持っていなかった。電話が代わる。Jと話すのは久しぶりだった。
「弘樹か、いまどこ?」
受話器で口元を押さえながら話すような声。
「ちょうど函館から札幌に着いたところだ」
「そうか、なら明日の朝出たら一時過ぎには釧路に着くはず。その頃なら迎えにいけるからさ…。じゃ明日な!」
ものの一分足らずで電話は切れた。隣で耳をそばだてて聴いていたR女史は、くすくすと笑っている。僕もJも電話で話すことは余りない、というか殆どしない。手紙では何枚も(時には十数枚も)書き綴るくせに、電話になると話す必要すら躊躇ってしまうのだった。
一時をニ十分も過ぎた頃、厚手の柄シャツを着たJが飄々と現れる。
「よう、久しぶり!」
「おう、生きてたか」
いつも通りの挨拶を澄ませると、
「Rちゃん、遠路はるばる釧路までようこそ。九月だっていうのに、なまらしばれるっしょ」
と僕が紹介するまでもなく、Jは馴れ馴れしくR女史と握手を交わしている。
「腹減ったなぁ」
「じゃあ銀水でも行くか。Rちゃんは醤油ラーメン食べられる?」
Jがレディファーストぶりを発揮しているのを見て僕は驚いた。手紙では、大学に入ってからの女性たち絡みの話題を読んではいたのだが、あのJがねぇ…。
「どうした?弘樹」
歩きながらJが僕の様子を伺ってくる。
「いや、別段…。なにも(笑)」
「俺もな、少しは大人になったのだよ。弘樹くん」
とにやけながらも再びR女史と楽しそうに話しながら歩いていく。この二人、どちらも人見知りのタイプだが、どうやら気が合うようだった。
「だってJくんの手紙、もう十通以上も読んでいるから初めて会った気がしないのよ」
「そうそう俺にもRちゃん手紙くれたしね~」
とJも妙に嬉しそうにラーメンを啜っている。呆れた顔をしながらも、僕は明るく元気に振る舞うJの姿を見れてどこかホッとしていた。R子を連れて来たのも、そして事前にJに手紙を書かせておいたのも正解だったな思った。
「お~いしい!北海道でも醤油ラーメンあるんだねー」
R女史の言うように、銀水のラーメンは美味かった。特製のハムみたいなチャーシューも、魚の出汁が効いた醤油味も、どこか懐かしくそれでいて新鮮な気がした。
北大通りをずっとまっすぐ歩く。北海道の大きなまちの特徴として、目抜き通りが延々とまっすぐ続くことが挙げられる。地元の人たちは「田舎だから」などと言うが、僕からすると途轍もなく大きなまちに映った。(基本的に北海道はなんでもでかいよね)そしてこれは地方の中核都市などには共通することだと思うが、その地方の行政機関や商業が一極集中しているから、東京の分散している大きな街よりも規模感が増すからだろう。
まちのところどころで立ち止まり、Jは僕らに震災のあった爪痕(今年一月にあった釧路沖地震)を紹介してくれた。八か月経ってもまだ至る所に被害、その事態の大きさや痛ましさに、どうリアクションしていいのかも分からず、僕はアーとかウーとか馬鹿みたいな反応しか出来なかった。テレビの ニュースで知っていたはずの被害だったが、実際に目の当たりにするとそのリアリティにたじろいでしまう感じがした。
幼い頃に大宮駅のガード下や駅前で、傷痍軍人の人たちなどは見かけたことはあったのだが、その時はただ怖いという感覚しかなかった。いま釧路の状況を前にして「目で見なければ、触れてみなければ何も分からないのだ」と思った。自分の中に入ってきたこの何か「ぐにゃり」とした生々しいものに対してうまく説明出来ないのだけれど、「今までお前は、ただ避け続けて来たのだ」と突きつけられたことが痛かった。
Jはとても落ち着いているように見えた。
彼もこの街に三月から来たばかりで、独りぼっちだったはずなのに…。何かこう、すっかりまちが彼を受け入れているようだった。そのせいか、幾分大人びて見えたし、僕の知らないJが今ここで生きているんだなということを感じた。何が彼に急激な成長を促したのだろうか。高校時代の昼休みに「缶コーヒー選手権」をやったり、教室の後ろの黒板に競馬新聞を書いたりしていた「あの頃」から、まだそれほど経っていないはずなのに。
僕も少しは成長出来ているんだろうか…。
まだ十八歳、社会に出るまでの執行猶予期間。そういう雰囲気が僕の通う大学では溢れていた。いや、私はもっと現実的に考えてるわというクラスメートたちも「英検一級までは取らないと」とか「この資格は取っておくと就職に有利なの」などという程度。別に職業訓練校に来た訳でもあるまいし、と直接言い放てるほど僕自身の今後のビジョンがある訳でもなかったから、そういう話題になると自然と距離をとるようになっていった。
夏を前にする頃には、サークルの先輩たちにも変化が見えた。一緒にバカ騒ぎして「自由とは何だ」と熱く語っていた先輩の髪は徐々に黒く染まり、小綺麗な服装へと変わっていった。たまに会うと爽やかな白い歯を見せながら「社会ってのは思っているほど甘くない。でも一年のお前らには期待しているからな」と言われた。僕は素直に「はい!」と言えなくなっていた。
黒い髪とリクルートスーツ、爽やかな白シャツのコントラストが目に痛かった。それが「自由の死」だなんて大げさなことまでは思わないけれど、これからは好きだった先輩たちと会う頻度も減っていくだろうなとぼんやり感じた。そして僕がこのサークルにいるのも長くはないのかもなと思った。
なんとなく感じている現実社会の大変さ、バブルが崩壊して不景気だと言われ続けていること、様々な汚職問題等の中でみんな自分だけは「勝ち組」にまわろうと必死だったのだろうか。
釧路川が太平洋へ流れ出るその河口。普段は多くの人で賑わうというフィッシャーマンズ・ワーフにも所々で震災の爪痕が確認できた。そんなことをよそにR女史は純粋に楽しんでいたと思う。Jのにわか観光ガイドぶりもなかなか良い。
「ここから、この川の水がどどどーっと海へと流れ出していくんだね~」
「うん、Rちゃんは湿原には行ったことまだないと思うけれど、上流にある屈斜路湖から湿原に水が入り、最終的にここに流れているんだ」
「釧路湿原かぁ行ってみたいな。ね、弘樹くん」
ああ、そのうち阿寒湖にいく時にでも寄ることになるさ。僕は何度か行ったことはあるけどねと伝えると、「一緒に行くことに意味があるんでしょーよ。ねえJくん」と口を尖らせた。
旅が始まってからというもの、僕とR女史もすっかり「一緒にいる」ということが普通になってきていて、これじゃあ、まるでカップルみたいじゃないかとも思ったけれど、口には出さないでおいた。
ぬさまい橋をゆっくりと渡る。歩いてまわれる範囲はたかが知れているから、この後は彼の大学を見ながらアパートへと向かう予定にした。
「釧路という言葉は、アイヌ語のクスリ(薬・温泉)から来ていてさ」
「うんうん」
「上流には幾つもの温泉がある。コタンでは多くの人たちの体を癒し、湿原はえさも豊富で動植物たちの豊かな生態系が残っているんだ、それでね」
「うん」
「釧路といえば漁業でしょ。海に出る男たちを癒すのはかつて北海道一と言われた程の酒場なんだよ。暗くなれば分かることだけど、釧路の夜の空は明るい」
「へ~、あのすすきのよりも?」
「まあ、今ではどうかは分からないけど」
「なんかすごいね釧路と薬。夜は明るい!」
僕も会話に割り込んでみる。
「冬は寒い」
「霧の都!ロマンチック」
「しかし、昼間でも空は暗い」
Jの声も大きくなる。
「酒も魚も美味い…、そして女たちは冷たい」
「それはお前の問題だろーが、釧路とは関係ない!」
突っ込むとみんなで爆笑した。その話は酒飲んでからなとJも苦笑いで返す。バカと恋愛につける「薬」はないと云うのが、この会話の落ちだ。
「我らが研究室を案内したいところだが、あいにく今日は閉まっているんだ。買い物でもしながらそろそろうちのアパートにでも向かおうか」
今日はJ特製のトマトミートソース・パスタを作ってくれるそうである。
「あ、Jくん。頼まれていたもの持ってきたわよ」
北海道教育大学釧路校の建物が見えるその場所で、大切そうに紙にくるまれたものをR子がJに手渡す。
「ん?ああーこれ。OKサンキューRちゃん」
以前やりとりした手紙の中で、そんなことが書かれていたらしいことは僕も知ってはいた。その「ローリエ」なるものの葉っぱが、どの様に使われるのかは全く分からないのだけれど、最近ハマっているというJの手料理は楽しみである。がっつり喰らってから、軽く酒場にも繰り出そうと僕らは話した。(貧乏学生たちにとって、お腹を満たしてから呑みにいくのが定石なのである)
少しばかり日が暮れてきたようだ。鈍色の空がやんわりとオレンジ色に染まっている。(さっきラーメンを啜ったばかりのような気もするが)なんだかお腹も減ってきた、気もする…。
今日はJのパスタをしこたま喰おう。
美味い刺身もちょっとだけ味わおう。
久しぶりの再会を酒で祝うのだ。
金が尽きたら、ビッグマンの安い焼酎の牛乳割り(北海道風)でダメ押しすればいい。
たぶんR女史は例のごとく、道半ばでスパークして倒れるかもしれないが、それもまた良いだろう。
Jの「酒と女と涙の会」のお話を、清く正しく聴く方法はそうでなくてはならない、そう思った。
さて、旭町にある独り暮らしのJのアパートに初めてお邪魔する。ここで奴はひとり頑張っている。(ほんとに独りでいるかは別として)。いや、踏ん張っている。
「ひろきニンニクは細かく、そしてたっぷり刻んでくれよ。たっぷりな!」
Jの声が、僕に届いた。おう、任せとけ!
(二〇一八年 「家族に世界に何が起きているのかを夜な夜な知る」の巻 後編に続く)
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