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二十八回出鱈目なパズルその五「最果ての地・音のない湖の上で」

一九九四年 阿寒湖 三月

◆君はH先生に会ったことがあるか?

  ここまで来たらもう行くところはない。阿寒湖が僕らの旅の終点になる。それは今までも、そしてこれからもずっと変わらないだろうと思う。

 友人のJとは釧路で合流し、一緒に阿寒バスに揺られてここまで来た。R女史とJは昨年の夏以来会うのが二度目であったが、とても親密な様子で、静かな再会の挨拶を交わすだけだった。男が二人、女が一人という三人というと文学などでは三角関係といったような微妙な関係性として描かれることが多いけれど、僕らのトライアングル布陣は妙にしっくりとくるような感覚があった。

 そして僕らは、例のごとくアイヌコタンの中川さんの家に世話になっている。コタンの通りの坂の上の方、そこに中川家があり、今回も既に一週間以上ここに逗留しているはずだ。(というのも既にここに来てから日にちの感覚がなくなっているから正確には分からなくなっている)

 なぜアイヌコタンの、中川家に来ているのか、という理由については、僕とJの高校の恩師であるH先生が関係している。

 現代国語のH先生。先生は、一言でいえば頭が良すぎてとても風変りな人だった。だから学校の中でも少し浮いた存在で、多くの生徒たちからも、どこか呆れられている様なところがあった。
 しかし、注意深く観察していると、ある意味そう見られていることも、自覚的にやっているようにも思えた。

「私の授業は、役に立たないことばかりですから、寝たい人は寝ていても構いません。もしテストで心配だという人がいれば、答えも事前に希望者には教えますから申し出てください」

先生はそう前置きをして、自分がしてきた旅や恋愛の話、
中島みゆきの歌の解説などを授業の中で行った。
みゆきの自虐的な恋の歌を感情込めて謳いあげる姿は、
正直ドキっとするような怖い感じがしたものだった。

 高三の受験間近な時のこと。最もピリピリするこの時期に行われる選択授業でHは、「Hの受験に使えない現国」と銘打って募集をかけた。そしてそれはなぜか静かな人気があった。

 H先生はどこかクールで人生を諦めたような態度を見せながらも、近代について文学や歴史を通じて語る時は、とても熱い姿勢をみせた。

「右手に鍬を、左手に岩波文庫を持って暮らせれば、私はそれで満足です」先生はそう語った。

 

 そういうことを平然と言い出すものだから、「それじゃまるで宮沢賢治じゃないかよ」と思わず僕らは舌を鳴らしたものだった。

だって、そういう大人と今まで出逢ったことなんてある?

「一体この人は何を言ってるんだか」
「そんなんで現代社会を生きていけるのか」と、僕らはさながら宇宙人と出逢ったような不思議な気持ちにさせられたものだ。

 

 そういえば、ある日の現国の授業ではこんなこともあった。先生の若い時分の「長い長い旅の話」が終わろうとしていた時のことだ。
「先生!僕もいつかそんな旅をしてみたいでーす」
机にタオルを敷き、今までろくに聴いてなかったクラスメートの松波が調子にのって発言すると、

 「では、夏休みに…。えーっと、八月の第三月曜の…、お昼ごろにしましょうか。北海道の川湯温泉駅からまっすぐいった三つ目の角に赤い屋根の家があります。そこに大きな白い犬がいますから、そこで落ち合いましょう」

なんていう風に、H先生は突然提案したのだった。

 その時は面白いことを言う先生だとは思ったけれど、実際に行ってみようとまで弘樹は考えもしなかった。自分には、そんな軽いノリで行動することなんて出来なかったし、ほんとに行く奴がいるなんて想像もだにしなかった。

 しかし、その話を受けて本当に川湯温泉まで行った輩がいたことを後で知った。実は、それがJだった。
「J、お前ほんとに行ったんだってな」
掃除の時間に聴いてみると、
「あぁ、行ったよ。斜里岳にもHと一緒に登ってきた」
とさらっと彼は答えてきた。

 妙な気持ちがした。それからしばらく胸の下あたりに、重しのようなものが留まっている様な鈍い感覚がとれなくなったことを覚えている。けれど、それが何故なのかは分からなかったし、当時はそのままやり過ごそうという自分がいた。

 でもたぶん……、Jと本当の意味で近しくなったのはその時からだったと思う。

一介のクラスメートという存在から、何か特別な存在へ…。あの赤点ばかり取っているJが、「油断のならない、気になる存在へ」と変わっていったんだろうと思う。

 Jと親しくなるにつれ、H先生が語る物語の場所へ行ってみたいと弘樹も思うようになっていた。でも、今更連れて行ってくださいと言うのも恥ずかしかったから、たまに先生に問いかける内容は他愛もない内容となった。

・札幌ススキノ
・第二グリーンビル四階
・炉端「くしろ」

弘樹はノートにそれをメモをした。先生から教えてもらったこと、それは師の行きつけの飲み屋情報リストだった。

どうでもいい内容だったが、どこか嬉しい気持ちがしていた。多分その頃からだったろう。僕は長期休み期間を迎えると、決まり事のように北海道を旅をし、メモにあった先生の行きつけの店で「ツケ」で呑んだ。

それが人生初のツケ体験だった。

冗談交じりだったかもしれないが「もし行くときは、私のツケでと女将に言ってみてください」と先生も語っていたから、怒られることもないだろうと、慣れない酒をたらふく吞んでは、トイレで吐いた。

◆「中川家」家族ではない家族の中で

 先に触れたように、今お世話になっている中川のお宅へも、先生のお陰で来れている場所だった。

 僕らは「雪かきでも何でもしますから、しばらく置いてください」とお願いしながらも、殆ど何もしないで日々ここで過ごしていたりする。我ながらろくでもないな、と思う。

 中川の家は放任主義だった。父さんはキコリ、母さんはアイヌの踊りの先生をしながら木彫りの人形などの土産物店を営んでいる。子供は三人、長男と姉妹、下の娘以外は既に働きに出ていた。この家は僕らを取り立ててもてなしてくれる訳でもなく、礼儀さえ守れば特に何も言わないで、ただ置いてくれた。

 「雪かきをします」と言った以上、二階まで積もった雪をかくのは当然やらねばならない仕事なのだが、最初の三日ばかりでいつも終わってしまっていた。それでも何年も通いもすれば、多少は講釈が出来る程度にはなっているものだから、Jと僕は先輩面してR女史にレクチャーをするのだが、

「いい加減、二人も手伝いなさいよー、口ばっかりじゃなく」
と怒られる始末。ただ、余りに雪が重くて、どうにもこうにも仕事は進まない。三人で取り組んで窓外の雪を二間ばかり落とす程度だった。

 最終的には「そんなへっぴり腰で、怪我でもされたら困る!」と父さんにスコップを取り上げられ、代わりに大きなジョッキを持たされた。

「北の国から」で学んだ通り、北海道ではモノを凍らせないために冷蔵庫を使う。僕らの泊まっている寝室というか布団部屋は、ちょうどマイナス十度になっていてサッポロ・クラシックをキンキンに冷やす最適な冷蔵庫となっていた。南国のように暖かい居間で飲む、それが実に美味い。

そして、ビールで腹が一杯になれば、大吾郎の焼酎を牛乳で割る 「牛乳割り」に切り替える。「これは牛乳が胃に粘膜を貼るから二日酔いしない」と云う父さんの指導の元で、僕らは毎晩由緒正しき「酔いどれ天使」となり、翌日はしっかり昼までダウンすることになった。

 そんなろくでもない僕らに母さんが言うのは「自分のことは自分でしなさい」ということだけだった。毎日がそんな調子だったから、ここに辿り着いて何日目なのかも分からなくなるもの無理はないだろう。


◆何もしない中で、僕らがしたこと

 さて、旅をはじめてもう二週間にもなるだろうという頃のことだ。いよいよ本当に何も出来ない日が続いた。

 連日の吹雪。外には出られない。

 辛うじて徒歩一分の温泉に入りに行くだけの日が続いた。(コタンの住民だけが入れる温泉があり、僕らは「中川の者です」と言うと、入れてもらえた)
三日目の夜。まだしんしんと雪が降り続いていた。

「明日は晴れるが、なんばらしばれるぞ」
父さんが牛乳割りを手にボソッと口にした。僕とJは顔を見合わせる。いよいよアレが来るのだと分かった。隣りで酔って赤い顔をしたR女史が、「なあに?」という顔をしている。

 たぶん明日の朝はマイナス二十度を越えるんだろう。父さんの「なんばら」とはそういうことだ。そして僕らは数日ぶりに湖に向かうことになる。だから今夜は、牛乳割りの牛乳の比率を自然と増やすことにする。てっぺんを越える前に僕ら三人は布団に包まって明日に備えた。(通常、すごいと言う時は「なまら」を使い、すんごいという時は「なんまら」を使うのだが、この「なんばら」とはその最上級にあたる方言である)

「ほんっとに、なんばらしばれるな」
「ああ」

翌朝、寒暖計をみると氷点下二十五度だった。僕らは久しぶりに中川の家族と共に朝飯を囲んだ。

「あら、めんずらしっ。弘樹、J、あんたたち今日はどっか行くんかい?」
母さんがさりげなく聞いてくる。
「いやっ、ただ久しぶりにオンネトー(五色湖)にでも行くかって。樹氷も見れそうだし、なあJ」
僕はJに話を振った。
「うん、Rちゃん連れて湖の真ん中の島まで歩いてこうかって思ってる。弁当に朝飯のすじこ飯持って行ってもいい?」
「いいけど、気を付けなさいよ。これだけ冷えてるから大丈夫だと思うけれど、温泉で氷が薄いところがあるからって、お兄ちゃん言ってたからさ」
「うん、分かった。気を付ける」

僕らは完全防寒をして中川家を出た。リュックには、弁当とハスカップワインとカマンベールチーズ、そして本が入っている。

 外の世界はほんとに真っ白で、しんとしている。世界はこうやって書き換えられていくんだと感じた。僕らは、新雪の銀世界をゆっくりと、おそるおそる歩く探検隊となった。

 真冬の阿寒湖に観光に来る人はいないから、出会うのはまちの人たちだけだ。そこで生活をする人たちの中で、異邦者である僕らは目立つ。けれど、白い世界を湖に向かって歩いていくとそんな僕らの存在すらも透明にしてくれているようだった。

オンネトーの近くで大きな樹氷があり、僕らはしばらくそれを立ったまま見上げていた。

 どれくらい時間が経ったのだろう。空気がキラキラと輝いていて、気づけばその輝く光の中に僕らは吸い込まれていた。

「きれーい、なぁにこれ」
「Rちゃん、ダイヤモンドダストだよ」Jが答える。

 ようやく見れた。

フィクションじゃないよね、たぶん…。本当に現実のものなのかと聞かれたら、それはそれで分からないのだけれど、隣りで、R子が喜んでいたから、その姿、それだけで良かったなと思えた。

僕らは、その先を進んでいく。
凍った湖の上を歩く。
湖の中にある小さな島まで歩いていく。

最初は氷が割れないかと少し不安もあったんだけれど、
大丈夫だ、と次第に分かってくる。

表面の氷から随分と下の、したーの方に「水」があることが感じられるようになる。僕らは湖と一体になっていくようだった 

リュックからハスカップワインを取り出して、回し飲みをする。「切れてるカマンベールチーズ」を齧りながら乾杯をする。

「かんぱーい」

声を出して気づくのは、周りに音が響かないということだった。響いてないのは僕らの声だけでなく、僕らを囲んでいる絶対的な大自然の全体がそうだということに気が付いた。

うん、音が全くないような感覚。実際そうではないのかもしれないけれど、しんとしているというより、耳の奥でキーンと鳴っているような感じ。

そしてここには、圧倒的な世界を浴びられる瞬間があった。もし、ここが世界の果てだと言われたら、そりゃあ、そうだろうなと答えるだろう。

僕らは取り敢えず、今回の旅の最後の「最果てポイント」に辿り着いたんだなと感じた。全ては出鱈目なパズルから始まった、このろくでもない旅も、なんとかどん詰まりまでは来れたのだ。

しばらくの間、僕ら三人はそれぞれの時間を過ごす。

 氷の塊に腰かけて僕は本を開いた。

渡辺淳一と云う元医師であり、B級エロ小説家が書いた「阿寒に果つ」という小説だった。Jはチラリとそれを見て微かに笑った。

随分と高く飛ぶ鳥が、山肌にそって急にスピードを上げるのを感じて目を上げる。すると空も暗くなり始めてきたようだった。なんだか妙に寒くなった気がして、僕らは慌てて帰る準備を始めた。

 こんなところで、身体の芯から冷えてしまったら大変なことになる。僕らが岸に向かって歩きはじめると、また雪が落ちてきていた。

「なんだか素敵ね…」

R女史が呑気にそんなことを言った時には既に風も強くなっていた。僕ら三人は出来るだけくっついて歩くようにする。

「やばいな、吹雪きがまた来るかも」
「早く帰らないとな…」

雪は音もなくやってくる。それは美しくもあり、恐ろしくもあった。

 「あそこに居たのは小一時間くらいだったわよ」
と、唯一時計というものを持っていたR女史がつぶやく。
「確かにそうだったかもしれないけど…」
「けど……?」
「本当にそうだったのかな」
「えっうん…、それは…そうかもね」

寒かったからなのか、問いの意味が分からなかったからなのか、いつも冷静なR子も簡単に同意した様子だった。

「うん、でも私思うのよ。例えばここでこのまま私たちが遭難しちゃったとするでしょ」
「おいおい、やめてくれよ悪い冗談は」
すかさずJが反応する。

「例えよ、例え…」
「で、どうなっちゃうの?」

僕もその後が気になってしまった。

 「でね、それはそれで悪い冗談みたいな話だとはさ、私も思うんだけど…」「うん…」
「それもいいかなって、思ったの。さっき」
「えっ」
「そういう可能性もあるんだってこと…」

僕は途中でつっこみを入れる。

「で、それも素敵ねって?もしかして…」途中からR女史が何を感じて、何を語ろうとしていたのかが僕には分かっていた。

「そう、なんだかそういうのも素敵だなって…、思っちゃったの。私、変かな?」

 別に変じゃない、全然変なんかじゃない。口には出さなかったけれど、僕も実はそう思っていた。感じていたことに気が付いた。Jも何も言わなかったから、もしかしたらどこか同じように伝わっているものがあったのかもしれない。

 言葉にすると現実化する言霊というものがあるが、僕らはそのまま帰り路で吹き溜まりにはまり帰れなくなった。

なんていうことは決してなく、
僕らは無事に中川家に辿り着き、
その日はいつもより多くのご飯を食べた。夕ご飯は焼肉だったし、ビールも牛乳割りもしこたま吞んだ。

そろそろ帰らなきゃな、
酔って揺らめく視界の中で、その時思った。

 

旅は現実に戻ってからまた、
新たに始まるのかもしれないけれど、「それもまた良き哉」と思えた。

(続く)

アイヌコタンの入り口


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