自分の20代の時は、本当に怒涛で情けなくて。どこにも行けない、何にも成れない、苦しい日々だったけど。それでも胸を張れるのは「自ら考えて動き出したこと」だ。 息子がその時を迎え、彼の状態や思いを共有しつつ支えていて思うのは、この時期の「人生の濃さ」だ。この苦しさは必ず糧になるのだ。
息子。 転職先が決まったものの現職場を辞める話で滞っている。 不登校引きこもりを経験したからこそ、「居る場所を変える」重要さに確信が持てているらしい。 横で見て話を聞いていると、一連全てが彼の糧になっていることが良くわかる。 成りたい自分に、なっていくんだね。
息子が「職場の人達生きにくそう」と言うので、きみはどう?と聞くと「普通」らしい。 私は?と聞くと「それどころじゃない感じ」らしい。まあ日常に乗って走ってるってことだわね。 いやー合ってるわ。 そして実は「かつて生きにくかった」人なんだよね😁
息子、辞職話未だに苦戦中。彼自身が人とのやり取りを大事にしているので、ちゃんと段階を追いたいのだろう。 親たちはやりたいやり方を支援して、愚痴聞くのがお役目ですな。 納得行くよう踏ん張ってね、と思う。
「頑張る」気楽さってあるよね?と息子に聞くと、食いぎみに「ある」。 「それができなかったから不登校になったんだと思う」 なるほどー。 そしてそこからここまでの道のりで身に付けたいろいろは、ここから先の時代では重要なことなんだと思うなあ、と話した。
息子が苦しい局面。 彼の中で譲れないものと、現状が、矛盾している。 過ごしやすい方に流れず、譲れないものを守って生きる。それを大事にしてくれる場所を探し直す。 自分の中のバランスを取り続けながら日々を凌ぐ。実地練習だなあ…
息子のピンチ。 今の彼の助けになること。 少し先の彼の糧になること。 更に先の彼の指針になること。 それら全てをクリアする支援が、私にできる方法で、きっとある。