見出し画像

19歳から35歳まで引きこもっていた

今私は45歳だ。今から10年前に、私は約16年に及んだ引きこもりから脱出し、外で働き始めた。

今の私は、毎日四苦八苦しながらも、会社員として働いている。10年前の自分からしたらきっと想像もつかない姿だと思う。

引きこもりから脱出するきっかけとなったのは、親の死だった。
そういう何か大きなきっかけがなければ、外に出ることはできなかったと思う。

私が引きこもった原因は、本当にいくつもの複合的なものから成る。
すごくおおざっぱ言うと、まず働き始めてから分かったことだけど、私には発達障害があった。いわゆる発達障害のこだわりからくるおかしな考え方に長年苦しめられたこと、それから未診断だけど、強迫性障害のような症状にも長期的に苦しめられた。それらにがんじがらめにされて、生活もめちゃくちゃに。とても社会生活ができる状況ではなかった。

しかし、それらと必死に格闘し、自分と向き合い、心の問題をひとつひとつ解決していって、精神的には外に出ていける状況になったが、気づけば高卒、職歴なしのまま30歳になっていた。
とにかく怖かった。「今まで何してたの?」と聞かれることが。30過ぎて職歴なしという事実が。履歴書を作ろうと思っても、経歴欄に「●●高校卒業」以降、何も書くことがない。資格もない(その時自動車免許も持っていなかった)。
自分のこの真っ白な履歴書を世間に出すことに恐れおののき、足踏み状態が何年も続いた。

そんな時、父親の病気の再発が発覚した。父は亡くなる8年前にガンと診断され、手術をしていた。
それを機に、否が応でも(父の通院の付き添い、見舞い等で)外に出ざるを得なくなり、少しずつ社会との接触が復活した。

しかし再発発覚から約半年後、父は引きこもり娘と妻を残して旅立ってしまった。

父の葬儀などが落ち着いてから、
私はまず、サポステ(地域若者サポートステーション)というところに電話をした。
「高校卒業からずっと引きこもっていたんです」というようなことをたどたどしく語った覚えがある。最後は泣いてしまった。

結局私はその後サポステで紹介してもらったビジネスホテルのベッドメイクの仕事をすることになった。

引きこもり初期に少しだけやったアルバイト経験からもうすうす気づいてはいたけど、私は壊滅的に仕事ができなかった。
遅い。とろい。覚えられない。忘れっぽい。うっかりミスが多すぎる。聞き間違い。早とちり。アメニティを入れ忘れる、数を間違えなんてしょっちゅう。

1度やったミスは2度としないというのは心がけているけど、それでも日々新たなミスの連続。気を張って注意して数日、定着して、別のミスに気を配るようになった頃、前のミスを今更な感じでまたしてしまう。

他にも、
仕事の指示が理解できない。
相手が言うことを理解するのに時間がかかる。
言葉だけの説明ではさっぱり分からないことが多い。
意味の取り違えが多い。
言葉を少しでも省略されると理解できない。
人との共同作業が苦手すぎる。
意思疎通が上手くできない。
説明が上手くできない。
言うべきことを言わない。言わなくていいことは言う。言うべきことと言わなくていいことの見極めができない。
報連相ができない。「報告」を怠ってよく怒られる。聞かないで勝手に判断したり。よく確認しないで思い込みで行動して間違っていたり。今自分が何をすべきか、何を求められているか、みんなそれを瞬時に判断して動いているけど、私は壊滅的にそれができない。

辛かった。
現場のリーダーさんには顔を見るのも嫌というほど嫌われ、藁をもつかむ思いでメンクリに駆け込み、発達障害と診断された。
IQのバラつきも激しく、総合値は"ギリギリ正常範囲内"ですごく低くて、4つの内訳のうち、言語性以外の3つは、知的障害~境界域の数値だった。

ご多分に漏れず、この結果を見てホッとした。
ただただ、底に打ちつけられるよな劣等感、自己否定感で自分を追い詰めていたけど、「この辛い現状にはちゃんと"ワケ"があったんだな」と思えたことが大きかった。

ベッドメイクの仕事は辛かったけど、ここを辞めたら他に行くところがないという思いから、必死に続けた。
しかし障害者手帳を取得できたことで障害者雇用という道ができた。それと同時に体力の限界も感じていた矢先、通っているメンクリに付属する薬局で、就労移行支援事業所のパンフレットを見つけた。

最初の見学の日、昼休憩も含めて5時間ほど、個室で話を聞いてもらえた。
私が一番不安だったこと、「高校卒業から35歳までまともな就労経験がないこと」「年齢も(その時すでに)40を過ぎている、そんな私でもこれから先、仕事は見つかるのか」という問いに対して、「見つかります」と言い切ってくれたことが大きかった。
スタッフさんの印象、事業所の雰囲気がとてもよかったことで、他を見学することなくそこに決めてしまった。

私が通った就労移行では、仕事のスキルの前にまず、長く働き続けるための土台となる"心"のスキルを養うことに重点を置いていた。
働いたら、辛いことはいっぱいある。思うようにいかなかったり、壁にぶつかったり、傷ついたり、イライラしたり。そういうことは避けては通れない。ではそんな時どうするか?不満を持ちながら、環境を呪いながら働くか、はたまた潰れて辞めてしまうか、それとも考え方、とらえ方によって気持ちを切り替えてマイナスの気持ちから解放され、前向きになれるか。

もちろんビジネススキルの講座とかPC訓練もある。
ちなみに私は引きこもり中にパソコン(ネット)ばかり触っていたのだけど、その経験が今、会社に就職して仕事をする上で大きな強みになっている。
人生、いつどんな経験がどんなことに役立つか分からないものだ。こんなことしたって・・・と思わず、引きこもり中に少しでもはまったことは、とことん追求したらいいと思う。

私はそこの就労移行支援に10か月ほど通った。
自立の姿勢で生きる心のスキル、MOS、簿記の資格取得などをしつつ、自宅に近い企業を紹介してもらえて、そこに就職が決まった。

もちろん、就職がゴールじゃない。
むしろ就職してからが本番だ。
上で書いたように、仕事をしたら、辛いことはいっぱいある。
上手くいっています、などとはとても言えない。
四苦八苦しながら、働くことを続けている。

この10年は私にとって、ジェットコースターのような、怒涛の10年だった。
特に最初の1年は、16年もの引きこもり開けの人間とは思えないくらい怒涛の活動量だった。
色々あった。辛いことも山ほどあった。

長期引きこもり経験者として、「人生何とかなる」とは言えないけど、行動してみたら、思っていたほど絶望的でもなかった。もちろん、自分で言うのもなんだけど、それなりに努力もした。それなりに戦略的にも過ごしてきた。

行動できない時は、できない。したくてもできない。そんなときは休むしかない。
しかし「行動したい」となったら、支援機関、居場所はたくさんある。メンタルクリニック、就労移行支援、自助会、SNSなど。

誰の役にも立たないかもしれないけど、
今後も自分の悩み、弱み、経験をさらし、乗り越えていく過程を書いて、それが誰かの一助になれば幸いだなと思う。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?