何だって受け身では良くないって学校の先生は言う。言うが、学校というシステムそのものが学生が受け身のスタンスの教育を基本としている以上、積極性を求めるのであれば、先ずは食い気味に行く見本を示さないと、学芸会やるよ~、誰か立候補して、では通用しない。先ずはコミットメントの実際を伝えよ
古典の面白みを考えたとき、現代語訳を使うのは冷めたピッツァだと言われる。ただ、自身の訳を紡ぎだすとき、その正確性を裏付けるのは指導者とか専門家であろうとも思う。古典の単語集や文法書を読み込むのは、オリジナリティと言われる代物とは距離があるから、というのは受験に似つかわしくない。