古典の面白みを考えたとき、現代語訳を使うのは冷めたピッツァだと言われる。ただ、自身の訳を紡ぎだすとき、その正確性を裏付けるのは指導者とか専門家であろうとも思う。古典の単語集や文法書を読み込むのは、オリジナリティと言われる代物とは距離があるから、というのは受験に似つかわしくない。

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