ラビンドラナート・タゴールさん(rabindranath tagore)。今日初めて気付いた。小学5年の頃から中国語での何十篇彼の詩の通訳版を読んだ後で、ずっと彼の文体を無意識に真似している。これ程気が合うのに、十年以上も彼の事をさっぱり忘れただけど。けれは恥ずかしい事ですね。
いったい誰が理解してくれたなら、自分は幸福なのか。ひろく理解されることは時に虚しくもあり、幻影のようなものなのかもしれない。究極的には自分、そして目前の誰かのことを、少しばかり、分かるか、分からないか。掛け値なしですべてを理解してくれたなら、それは愛と呼ぶ以外、ほかに言葉はない。
タゴールはこうも言います。「私はただ恵みが来るのを待っている。この身を遂にその手に委ねたい。だからこそこんなに遅くなりこんなに怠慢の罪を犯してきたのだ。人々は自らの掟を携えて来ては私を縛ろうとするが私はいつも逃げる。ただ恵みが来るのを待ち、この身を遂にその手に委ねたいから」、と。