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Happy Women's Map 富山県高岡市 高良 とみ 女史 日本・アジアの平和運動を牽引 / Pioneer of the peace movement in Japan and Asia, Ms. Tomi Kora

-「非戦を生きる 高良とみ自伝」(高良とみ 著 / ドメス出版1983年)


「私が尊敬する人は、ガンジーとタゴール、親友はネールと李徳全女史」
``The people I respect are Gandhi and Tagore, and my best friends are Nehru and Ms. Lee Dek-quan.''

高良(旧姓:和田) とみ 女史 
Ms. Tomi Kora / Wada
1896 - 1993
富山県高岡市桜馬場 生誕
Born in Takaoka-city, Toyama-ken

高良(旧姓:和田)とみ女史は日本ならびにアジアの平和運動の先駆者。心理学研究者・平和運動家・戦後初の女性国会議員として、女性解放と平和運動を実践しながら、日本・アメリカ・インド・ソ連・中国はじめ世界にのびやかに多彩な活動と交友の輪を広げました。
Ms. Tomi Kora (maiden name: Wada) is  Pioneer of the peace movement in Japan and Asia. As a psychology researcher, peace activist, and the first female member of the Diet after the war, while practicing women's liberation and the peace movement, she freely expanded her circle of diverse activities and friendships throughout the world, including Japan, the United States, India, the Soviet Union, and China.

「英語の武器」
 北陸有数の桜の名所を有する桜馬場に、とみはアメリカ帰りの土木技師官僚である父・和田義睦と、婦人運動家である母・邦子の長女として誕生します。父の転勤に伴って宮崎・新潟・東京・群馬・兵庫など転居を繰り返しながら誰とでもすぐに友達になれる溌溂さを身に付けます。県立第一神戸高等女学校(後の兵庫県立神戸高等学校)に入学すると、神戸教会で洗礼を受けます。「世界中どこへ行っても世の中がどんなに変わろうとも役に立つ」と母に助言され日本女子大英文科に進学します。勉学に励む中で、とみは一生を決定づける出来事に遭遇します。はじめにコロンビア大学で心理学Ph.Dを取得した原口鶴子の葬儀に参加して、アメリカで心理学を学ぼうと決意します。続いて、軽井沢での夏季修養会に参加して成瀬仁蔵校長が招待したラビンドラナート・タゴールの説く平和活動を志します。

「飢餓と戦争」
 アメリカに留学したとみは原口鶴子の博士学位論文「心的疲労」を指導したコロンビア大学ソーンダイク教授(E. L. Thorndike)のもとで心理学の基礎を学んで修士号を取得すると、飢餓と戦争の関係を研究するためにジョンズ・ホプキンズ大学のリクタ ー(P. Richter)教授のもとで実験を重ねて博士論文 "An experimental study of hunger in its relation to activity(飢餓状態の体と心理の活動についての実験的研究)" を書きあげph.D博士号を取得します。とみは旅行先のヨーロッパで、婦人国際平和自由連盟大会に出席して女女性平和運動家であるジェーン・アダムズたちと交流を深め、第一次世界大戦後のウィーンの飢餓と貧苦の姿について日本の雑誌また新聞に記事を寄せます。

「女性平和運動」
 帰国後、とみは九州帝国大学医学部精神科に帝国大学発の女性教員(助手)に着任。4年ほどで助教授に推薦されると東京大学教授・美濃部達吉の強硬な反対にあい、母校・日本女子大学家政学部の教授に就任。15年にわたって女子教育に従事します。戦時色が強くなる中、とみは女性の自立による平和をめざして女性平和運動家ジェーン・アダムズの来日講演に奔走したり、日本の婦人参政権獲得運動に参加、インドならびに中国の婦人平和会議の実現に奔走します。さらに、非暴力による和解と平和の実現を目指して新渡戸稲造が設立した日本友和会に参加すると、上海で魯迅と会談、インドのダゴールとマハトマ・ガンジーを訪問して日本と中国での平和講演を依頼、ダゴールの来日公演を手配します。

「鉄のカーテンと竹のカーテン」
 日中戦争が勃発すると、とみは夫で精神科医の高良武久また3人の娘にさえも恐ろしいほど暗く不機嫌になって、銃後を守るべく戦争協力に転じます。やがてとみは大政翼賛会を離脱、母校の教授職を辞任、良心的兵役拒否「石賀事件」で憲兵隊本部で連日の尋問を受け、疎開先の家を憲兵隊に没収されて敗戦を迎えると、平和活動を再開。呉市の非公式市長助役として占領軍との折衝はじめ復興予算獲得に活躍。翌年には参議院に当選して、日米安全保障条約に反対票を投じます。インド・ネルー首相に招待されて世界宗教者平和会議に出席、ローマ法王に面会して戦犯の減刑を請願、国交成立前のソ連に渡って国際経済会議に日本代表として参加・シベリア日本人捕虜と面会、国交回復前の中国に渡って日中民間貿易協定を締結・在華邦人の帰国交渉を牽引。日本婦人団体連合会を結成させて副会長に就任したとみは、12年の議員生活を終えてもなお世界各地の平和会議に精力的に参加してまわります。

-「非戦を生きる 高良とみ自伝」(高良とみ 著 / ドメス出版1983年)
-日本女子大学成瀬記念館
-日本友和会
-日本婦人団体連合会(婦団連)

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