レモンバーム17
飼うようになったねこのことについて書いています。野良猫のことも。
生きているうえで思うこと。
日々の生活で思ったこと。
人の命には限界があって、確実に人は死んでゆく運命にある。 なのに、人は明日も明後日もおそらく生きているであろうと楽観的に何も考えることなく今を生きている。 そうしないと恐ろしくて生きてゆくことができないということも事実だ。 でも命に限界があるという現実を深くよく考えてみると、せめてやさしくそして謙虚でありたいと思う。 限界が分かることで生きる目的が見えてくる人も多くいる。 でも私たちは確実に死ぬという限界は、実際に現実的にすでにあるのだ。 その限界が数量的に時間的
生後1ヶ月の赤ちゃん猫のパールちゃん。オシッコチッチはお手のもの。失敗知らずなのは分かってた。でもウンチまでも失敗知らずだったとは驚いたね。お昼にウロウロした後猫砂トイレに這い上がって神妙な顔つきになった。出した後に砂をかけるのは忘れたのは満足感に浸っていたから。かわいいウンチ。
ロボットではないとチェックを入れてマス目にある映像にチェックを入れていく。何度も何度もロボットではないかとさぐられる。うまくチェックができていなかったのかとさらにチェックの速度を素早くするとさらに何度も画面チェックが続いていく。 人間らしく迷ったり間違えたりすることが必要だった。
親からでさえ愛された実感が薄い。話しかけても無視され。変なことで脅すことさえ言われ。家族になれるかもと思った人も面倒なことから逃げるばかりで実際にはまるで家族にはなれなかった。 でも子どもも成長し理解し合い支え合えるようになった。 かわいい猫たちにも出会うことができ幸せを感じる。
生後1ヶ月の赤ちゃん猫のパールちゃんは昨日からダッシュアンドターンができるようになった。できることが数時間で増え成長の速さを感じる。今朝はスライドドアの開いたところからバリケードを乗り越えて階段の半分まで母猫のひとみちゃんと一緒に降りていた。生きていくために学ばせているのだろう。
生後1ヶ月の赤ちゃん猫のパールちゃん。活動範囲が広がりダッシュや忍び足歩きもできるように。お気に入りは部屋に置いた猫砂トイレを歩き回ること。今朝歩き回った後があるなと思っていたら小さなオシッコの跡が。すごいよ。お母さん猫のひとみちゃんは下のトイレでするから見本もなくできたなんて。
生後1ヶ月猫のパールちゃんは段ボール箱から脱走。足腰がしっかりしてきたし好奇心旺盛だからウロウロしたい頃。部屋の入り口のスライドドアに挟まれないようにティッシュの空箱を連結してテープでとめた。すると今度は入り口が狭くなって私は横向きでないと入れない。食べ過ぎたらもう入れないかも。
赤ちゃん猫のパールちゃん。日に日に大きくなりしっかりしてきた。ヨチヨチ歩きから素早く歩けるようになりピョンと跳ぶことも。先日は段ボールから抜け出して机の下の角のところでガリガリしていた。お母さん猫のひとみちゃんは心配してニャーニャー鳴いてた。後ろ脚でカイカイ。毛づくろいもできる。
下唇の縁にある赤黒い血管腫。ストレスがかかるとヘルペスのように膨らんで違和感。昨日よりは膨らみはなくなって気にならなくなった。身体は心とともに不調になる。心はそれほどと感じていなくても身体には正直に出る。 気にしすぎることなくかといって見過ごすことなく自分をいたわる。大事にする。
女ではなく男になりたかった子どもの頃。心の問題ではなく男の方が断然有利だと子どもでも感じていたから。自由度が違った。 父の理不尽な言いがかりで母は泣いていた。それでも母が謝っていた。女を支配し付属品のように扱う。取り替えのきくものと思っている。 私はもう泣くこともなく主張できる。
野良猫の前疥癬だった黒猫。感じるままに「セッシャ」と呼んでいた。以前にも寄生虫の滴下をしたが免疫力が低下したみたいでまた滴下。美味しいものを食べるのに夢中になる必要があり缶詰を開けた。後ろから滴下成功。あれ以降見かけなかったけど今日元気な姿を確認できホッとする。野良猫がいっぱい。
暑くて首に髪の毛がまとわりつくのが嫌なのでハサミで散髪した。ついでに前髪や横の髪もすくように切った。ゴミ箱に溜まったぱさついた髪は多かった。頭が軽くなった。夕方の野良猫のゴハンの時黒猫に顔をしげしげと見られた。いつもの人間なのかどうか見ていたよう。「いつものオバサンよ」と言った。
猫のひとみちゃんと赤ちゃん猫のパールちゃんがいる小部屋に入り寝転んで猫たちを見つめていると私のお腹がゴロゴロと鳴って動き出す。そしてだんだんと眠くなり居心地がいいとは言えないところで丸まって熟睡できる。赤ちゃん猫のパールちゃんからもものすごいエネルギーが出ているのかな。 猫の力。