レモンバーム17
飼うようになったねこのことについて書いています。
生きているうえで思うこと。
人の命には限界があって、確実に人は死んでゆく運命にある。 なのに、人は明日も明後日もおそらく生きているであろうと楽観的に何も考えることなく今を生きている。 そうしないと恐ろしくて生きてゆくことができないということも事実だ。 でも命に限界があるという現実を深くよく考えてみると、せめてやさしくそして謙虚でありたいと思う。 限界が分かることで生きる目的が見えてくる人も多くいる。 でも私たちは確実に死ぬという限界は、実際に現実的にすでにあるのだ。 その限界が数量的に時間的
車で街まで。ギリギリのラインの駐車。シャッターの多い通り。説明してもらい再び前の店に。何だどうなっているのか。説明することが食い違う。専門家がいなくなるほど複雑になっている。グビグビと自動販売機のジュースを飲む。頭が揺らめきずっと聞こえているのは耳鳴り。今日は暑い夏になっていた。
店頭に設置してあった体温計測器に顔を映してみた。何と低温と表記されて測定不能。マスクをしてたから。帽子をかぶっていたから。おでこが異常に冷えていたから。すでに生体反応がなくなっている!でも問題なく店に入れた。もうそんなことしなくていい状況だから。店の人の目の酷い充血が気になった。
猫のふみちゃんは娘のことが大好き。娘が忙しくて構えなかった時にプイっとしてその後話しかけても知らんぷり。夜寝る時私と娘とふみちゃんでベッドで過ごすのがお決まり。娘がいないと呼びに行く。けれど私と娘の話が盛り上がりふみちゃんに目がいかないと私に跳びついてくる。ふみちゃんの長い文句。
喉がからまる人がいると私が軽く咳をして治そうしてしまう。娘の鼻水が気になると無意識にティッシュを取り自分の鼻をかもうとしてしまう。タバコのシーンがあると煙や匂いを感じてしまう。バットを持って回っているのを見ると気持ちが悪くなってしまう。ライブ映像ではないはずのコーラスが聴こえる。
野良猫のカリカリに雨上がりだとナメクジも寄ってくる。カリカリの箱の中にナメクジが入ってくると困るのでいくつかをナメクジの近くに置いた。朝には猫のふみちゃんは野良猫の心配をして「ゴハンゴハン」と言ってくる。黒猫はカリカリを食べるけれど全部は食べず残す。他の猫のため。ナメクジのため。
自分でできることは自分でやる。慣れてないことでもやり方を調べるとできる。それでもできないことはできる人にやってもらう。そんなサービスが実在している。大変だと感じるのは対処する経験がただ少ないだけ。二度三度となると不安をさほど感じることもなくなる。すべて慣れることだと言い聞かせる。
映画『コンサルタント』を観た。悪魔は黄金の骨で実体を持つ。事業が上手くいっていないところに現れ人の醜い悪の部分を倍増させていく。実際に悪魔のような非情な企業もある。そして悪魔は堅実に事業を拡大成功させる。また社内を片付けや掃除もする。そして能力のある人に任せて立ち去るという悪魔。
夜寝る時間常夜灯の中猫のふみちゃんがクンクン匂いを嗅ぎ始め部屋の中をパトロール。ベッドの向かい側にあるCDコンポの上で私の方を眼力強く見張っていた。薄暗い中こっちにおいでと手をヒラヒラとさせた。と、本能のスイッチが入り私めがけて跳びついてきた。とっさに布団でブロック。少しめげた。
眠る力に最近気がついた。身体の緊張をほぐして睡眠に入るにもある程度の力が必要。だから年を取ると深く眠ることができない。若い頃のようにまぶたは自然に落ちてこない。日常生活に必要なエネルギーも多くない。ぼんやりとする時間も多くなる。そこでNMNを飲むと身体が若返り眠れる。これは凄い。