昨日の「卒業研究Ⅰ」の授業でゼミの学生たちと議論した作品は、衿さやかさんの「泡のようなきみはともだち」でした。会社組織の中の閉塞感が生々しい筆致で描かれた作品でした。
文芸創作とは、お御燈を灯し奉納するようなもの 明るい時は、文字通りの「昼行灯」 暗い時は、人の「道標」とも (明るい暗いは、時代性もあるかも判らないけれど、多く個人の心持ちに拠るかと) 年月の間の風雨にも消えることのなかったものは 地に在って尚、夜空の星と同等の存在になる…のかも
少なくとも、創作文芸の中では、自己の主張や感情はなるべく抑えた方が、かえって相手に伝わりやすいのでは…って、今ちょっと思った。 「カメラマン」に徹する。 (ロバート・キャパや土門拳を心の師に) 「ありのまま」しか切り取れなくたって、切り取り方次第で何とでも、…って、不遜かな?
ハートをたくさんありがとうございました。励まされました!いまは、作品執筆までの手順をスモールステップに小分けした計画を検討中です。なかなか書き出せないのは、設定の段階からの詰めが甘いからで、小説講座のテキスト通りに、まずは取材や構成を考える作業をしようと。まずはできることから!
今のところの、ごくごく個人的な感触ですが、 長編小説を書くのは、(よく言われることですが)マラソンに、 短歌や俳句は、棒高跳びか、水泳の飛び込み競技に近いものがある気がします。
昨夜は映画「ジョーカー」を観た。2度目。初回見た時では気付けなかった細部の演出やスゴい点に気付かされた。主演男優さんの演技、ダンス、表情すべて神がかっていて刺激を受けた。完全に芸術として昇華されてる。世間への影響は様々だとしても。そして、なぜか三角チョコパイ最新作よくばりいちご。
「AIのべりすと」は、AIが小説の文章作成を手伝ってくれるアプリ。遊び半分で始めてみたら、これが面白く、脳みその良い運動になった。これで全ての小説が書けるとは思わないし、コツもいるし、限界もあるとおもう。だけど、今の私には文章作成のストレッチとして有効。皆さんにもおすすめです
小説という意識でわあっと書いてみて、止めて。一晩寝かせて。次の夜も、わあっと書いてみて、止めて。そして見直さない。それを繰り返している。ちょっとしたリハビリ。マイペースにいきたい。写真は先日行ったカフェのレアチーズケーキ。