あなたの感性、いただけませんか ~フィクション・ストーリー~ 3
二、素明の葛藤の痕跡
小学四年生になった。私の人生において二回目のクラス替えが行われ、一年二組、二年二組、三年二組に続いて見事四年二組となった。私が在籍した学年においてのクラス替えの振り分けは二種しかないのにも関わらず、自分が無事に、小学校六年間という時間の半分以上をブレずに「二組」と名乗り続ける人生の確立について、感動と落胆をブレンドしているうちに、木下優子(ゆうこ)、佐藤奈乃(なの)という新しい友が2人できた。“できた”というよりは、“引き寄せた”という方が正しいのかもしれないが。
ある日、優子と一緒に下校することになった。学年の初めの方、知り合ったばかりの頃だったと思う。一緒に帰ろうと誘うなり彼女はこう言った。
「私、復讐型だから。私に何かしたら知らないよ。」
台詞に乗せた声色はだんだん低くなっていくグラデーションだったが、これを言われたからといって別に何の感情も抱かなかった。声が怖いなとか、面倒くさそうだからこの子に関わるのをやめておこうとか、全く思うことなくただ「へー。」とだけ返したが、本当にそれ以上の意味も思いもなかったのだ。
奈乃とは非常にフラットな感じで友人としての付き合いが始まった。小二の頃、たった一言だけ会話をしたことがあるが、互いにそれを覚えていたのだろう。コミュニケーションをとる際に初歩の初歩であるような、よろしくなんて言葉も交わさず、一緒にいるようになったと思う。
二人に共通して言えることは、どっちも教室にいたとて、大してその子の周りに人がわんさか集まるようなタイプではなかったことだろう。むしろ、女子特有であるあの一つの空間の中にいくつもグループを作るという習性からは、あまり縁がない人種たちだった。
読者もここまで読んでくれたならば分かるだろうが、無論私もそういう人種であった。多くの人を引き寄せるタイプではないことで、もしかしたら私がいると皆が楽しい演技をしなくてはならなくなるのかもしれないと思う事はあっても、自分が一人で過ごしていることについては別に惨めとも何とも思わなかった。むしろ、人と一緒にいて合わせなくてはならない緊張にさらされる毎日よりは、休み時間になったら好きに机の引き出しを開け、好きに教室を出て好きなように学内散歩をする方が何倍も気楽だった。
別に大勢友達がいるという事もなく、一人が好き。一人で良い。私のその要素が孤独を寂しがる子を引き寄せ、自身と同類を見つけたのだと錯覚させ、好まれる要因になるのだろう。基本的に私はこの時から今まで変わらず“来るもの拒まず”の精神なので(現在の方が仲良くしようと思えるハードルは高くなってしまったが)、当時も何も思うことなく二人を受け入れた。
優子と奈乃二人の間柄といえば、私が見る限り元から二人で一緒に登下校をしたり、あいさつを交わしたりしているようではなかった。二人を結び付けるに至ったのは他でもない、互いに孤独に同情を求め頼った目的地が同じだったという、“同類に鏡を向けた時に映るもの”への愛おしさだったのだろう。やがて、私たちは学校生活を三人で過ごすようになった。
優子は、さすが最初に復讐型の警告をするだけあって、小学生にしては他に類を見ない程嫉妬心が強く、執念深い人物だった。何があっても三人で過ごすことを強要し、私と奈乃がどんなに些細なことでも二人きりで何か行動をした翌日の朝には、必ずと言ってよい程彼女の大激怒と、「どこに行ってたの」やら「それぞれいつに何をしてたか言ってごらん」やらと質問攻めが待っていた。
ここだけの話開き直って悪いが、大体一日の内で行う全ての活動において、共に行うメンツを毎度毎度一小学生がコントロールするのには無理がある。例えば教室内の席替えをして、班が三人のうちの二人と一人になることもあるだろう。また、出席番号の後か先か、偶数か奇数かによって、はたまた特定の成績やテストの点数によってクラスを更に複数に分けたり、その為に授業の終わる時間や下校時間がズレたりする事もあるだろう。どれだけ無理強いされようと出来ないものは出来ないので、傷つきはしないもののお互い要らぬエネルギーの消耗をなるべくせぬよう、私はこの時が来たらとりあえず毎度ごめん、とだけ謝っておいた。
それでも勿論、私たちもこれを回数重ねられて全く何も思わないままな訳はなかった。あまりの嫉妬深さに飽き飽きすることはあっても、三人の輪が崩れることはしなかった。私は結構耐えていた方だと思う。
先に音を上げたのは、奈乃の方だった。優子が学校を欠席していたある日の帰り道、奈乃は私にこう言ってきた。
「最近優子ちゃん、キツくない?」
いつぞやに見た、あのささやきスタイルの質問方法だった。
まぁねぇ、とだけ返した。全く気にならないと言えば嘘になる。でも、だからといって「全面的に嫌い」、とはならなかった。それに、奈乃の想いに百パーセント同調するのは子供ながらに違うと思っていた。この関係性がいつまで続くかは分からないが、私には人を全面的に嫌う神経も、「やめて」と言える勇気も、持ち合わせていなかったのだ(今もそうだが)。
私、もうキツいかも、という奈乃に対して、私も少しは相槌を打ったり同調したりはしていたが、だからといって優子への憎しみの入った批判に同調したり、優子の立場を全否定するようなことはしないよう、一貫して心がけていた。そうでなければ、他に何が出来ただろうか。
奈乃はこうしてここ数か月の自身が(私も含め)置かれる環境下に対する自分の胸の内を口に出してしまってからは、私と二人きりの時間になると必ず優子の愚痴を漏らすようになった。正直私も優子の執念深さには辛さを感じてきたが、それでも受動を心がけ奈乃の聞き手に徹してきた。
ある日、また優子が欠席した。しかし奈乃は登校してきたので、奈乃と私は二人で一日を共に過ごすという構図が自然に出来上がった。奈乃は奈乃で、基本的に一人で行動するという事が出来ない子どもだった。
帰り道、今日一緒に遊ぼうと奈乃が誘ってきた。優子ちゃんいないから二人で遊べるよ、私は二人で遊んでみたいのと奈乃は言った。私も別に特別予定もないため、オーケーを出した。どこで何をして遊んだかは記憶が定かでないが、この日ちゃんと放課後に奈乃と二人きりで遊んだことは確かである。
翌日優子は登校した。そしてご立腹だった。
「ちょっと二人、来て」
手のひらを上にして人を招く仕草で、私と奈乃は呼び出された。
昨日何してたの、二人(・・)で遊んでたでしょ、私知ってる。二人(・・)は知らないだろうけどねぇ、私学校の帰り道からあなたたち二人(・・)をずっとつけてたの!挙句の果てに二人(・・)が遊んでる様子も電柱の陰に隠れて見てたんだから‼…
優子は朝から信じられない程怒り狂った。とうとう私も彼女に合わせることに限界が訪れてきて、私はこの日帰ってすぐ親に話した。両親は話し合い、“友達をずっとつけて電柱の陰で監視するような神経は、ちょっとその子の将来も心配だから”という理由で、私の親が優子について学校に連絡することになった。
翌朝、私の記憶が正しければ父が学校に電話を掛けた。電話を掛けるといっても、ここ何年も流行っているような、モンスターペアレンツのようなことではなく、こういうことがありましたよという報告程度の電話である。当時の私の担任は女性だったのだが、掛け手の手ごたえとしては、何を話すにもはあ、としか言われなかったという。
頂いたサポートにお応えできるよう、身を引き締める材料にしたいと考えています。宜しくお願い致します。