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1902年。なぜ宮崎滔天はNative-Americanの浪花節を唸ったのか?

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浪曲と孫文

【伝説の講道館四天王】西郷四郎の生涯

再生

大川周明・松井石根とベトナム解放

興亜会(こうあかい)発起人曽根俊虎(そね としとら)が記した『法越交兵記』(1886)

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ベトナム独立運動家と小村寿太郎(こむら じゅたろう)

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51歳の誕生日。

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廣澤虎造先生の人となり

「名言との対話」 2月22日。柳原白蓮「踏絵もてためさるる日の来しごとも歌反故(ほご)いだき立てる火の前」

11/8(日)チラシを渡しに銀座へ

宮崎滔天「三十三年之夢」とアジア主義の展望

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講道館へ行ってびっくり‼️

大蔵流狂言方 山本東次郎則寿先生

体幹がしっかりしないと顔芸になる!?

師匠澤孝子の姿三四郎恋暦ヲ観る

雷門小助六兄さんの独演会

1週間が早すぎる( ̄▽ ̄;)

NHK『花子とアン』からかいま見えるお花畑史観

今日は、龍宮寺というところに浪曲を聞きにいきました。 「革命と浪曲」というタイトルで宮崎滔天の話がされました。 まえまえから興味があった宮崎滔天について知る切っ掛けとなりました。

JOG(043) 孫文と日本の志士達

【百年ニュース】1920(大正9)6月26日(土)施存統が東京に到着。施は戴季陶に心酔し,勧めに従い日本留学を決意。また当時肺を患っておりその療養も目的。東京到着後すぐに宮崎滔天宅(北豊島郡高田村,現目白駅付近)へ。滔天の長男宮崎龍介は施を到着当日病院に連れていった。

1917年、孫文と並ぶ辛亥革命の功労者・黄興の国葬に参列した宮崎滔天のもとを若き日の毛沢東(当時24歳)が訪れた。 その著書『三十三年の夢』を読み、どうしても会いたくなったのだという。 その時の感激ぶりは「白波滔天先生閣下」にはじまる滔天宛の手紙に示されている。