何祐子

何祐子(が ゆうこ)。1990年代初めにベトナムホーチミン市へ渡航、在住25年以上にな…

何祐子

何祐子(が ゆうこ)。1990年代初めにベトナムホーチミン市へ渡航、在住25年以上になります。戦前のベトナムと日本に関連する資料・書籍の掘り起こしと整理をこつこつとやっています。

マガジン

  • 仏領インドシナと戦前の日本人

    戦前の仏領インドシナ、ベトナムの独立を直接、間接に援助した日本人を纏めてます。

  • ベトナム史あれこれ まとめ

    今迄に書いたベトナム史に関する記事をまとめてます。

  • 大東亜戦争とベトナム

    戦前の我が日本国と、フランス領植民地だった仏領インドシナーベトナムの間にあった過去の出来事を掘り起こしてます。ここでは、主に大東亜戦争に関連するものをまとめてます。

  • チャン・チョン・キム著『 一陣の埃風』

    1945年3月9日の在仏領インドシナ日本軍による軍事クーデター『仏印武力処理』通称『明(マ)号作戦』。フランスから独立したベトナムが設立した独立自主政権の首相を務めたチャン・チョン・キム(陳仲淦)氏の回想録『 Một con gió bụi(一陣の埃風)』の全文を邦訳

  • 安南民族運動史

    昭和16年発刊の大岩誠氏著『安南民族運動史概説』の内容を抜粋してご紹介しています。

最近の記事

1945年3月 仏印武力処理(明号作戦)後の小磯内閣声明文

 先日の記事『1945年4月チャン・チョン・キム内閣宣告文』の中に、この文章がありました。⇩  「乙酉年2月25日(陽暦1945年3月9日)、大日本国軍隊は全インドシナ領土に於けるフランス人の主権を打倒した。その後には今上皇帝がベトナムの独立を宣言し、それと同時に小磯首相が、日本は我が国を侵略する意志無しと連絡をして来た。  それによって、80年続いた圧制が終わり、我が国は自主権と東アジアの一角の文明国としての立場を恢復した。」  この⇧「…同時に小磯首相が、日本は我が国

    • 阮朝第13代保大(バオ・ダイ)帝と 1945年8月 下賜勅書文

       ベトナムのラスト・エンペラー、第13代皇帝 バオ・ダイ帝。  今日まで日本のベトナム史界では、クオン・デ候に比べて多々取り上げられているので御存知の方も多いのではないでしょうか。  しかし、、何故か、日本側研究者が過去に纏めた史料中のバオ・ダイ帝の評判は、芳しくありません。。。😢😢😢  それは多分、あの当時『仏印に駐在してた』とか、『実際に帝と会った』等々の方々が残した日本側の回顧録にそういった側聞・仄聞があることが一番の原因かと思います。  その検証に最良だと思うの

      • 『我々は、大日本国が我々を解放してくれたというこの恩を、絶対に忘れてはならない。』‐1945年4月チャン・チョン・キム内閣宣告文

         前回まで、1945年3月9日の日本軍による『仏印武力処理』通称『明(マ)号作戦』後に、フランスから独立したベトナムによる初めての独立政権の首相を務めた、儒教研究家で教育家のチャン・チョン・キム氏の回顧録『 一陣の埃風』邦訳を9回に分けて投稿しました。  投稿開始後、第6章くらいまではあまりビュー数が伸びず、やっぱり日本人にとってファン・ボイ・チャウのようなネーム・バリューが無いので読んでくれる人も少ないわ。。と思っておりましたら、第7章からいきなりビュー数が伸びました。

        • チャン・チョン・キム著『 Một cơn gió bụi(一陣の埃風)』⑨最終章(第12章) プノンペンへ

          チャン・チョン・キム著『 一陣の埃風』 **************** 第12章 プノンペンへ

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        1945年3月 仏印武力処理(明号作戦)後の小磯内閣声明文

        • 阮朝第13代保大(バオ・ダイ)帝と 1945年8月 下賜勅書文

        • 『我々は、大日本国が我々を解放してくれたというこの恩を、絶対に忘れてはならない。』‐1945年4月チャン・チョン・キム内閣宣告文

        • チャン・チョン・キム著『 Một cơn gió bụi(一陣の埃風)』⑨最終章(第12章) プノンペンへ

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        マガジン

        • 仏領インドシナと戦前の日本人
          62本
        • 大東亜戦争とベトナム
          56本
        • ベトナム史あれこれ まとめ
          62本
        • チャン・チョン・キム著『 一陣の埃風』
          12本
        • ベトナム独立革命家 潘佩珠(ファン・ボイ・チャウ)
          24本
        • 安南民族運動史
          16本

        記事

          チャン・チョン・キム著『 Một cơn gió bụi(一陣の埃風)』⑧第10章 フランス・ベトナム戦争 / 第11章 サイゴンへ

          チャン・チョン・キム著『 一陣の埃風』 **************** 第10章 フランス・ベトナム戦争

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          チャン・チョン・キム著『 Một cơn gió bụi(一陣の埃風)』⑧第10章 フランス・ベトナム戦争 / 第11章 サイゴンへ

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          チャン・チョン・キム著『 Một cơn gió bụi(一陣の埃風)』⑦第9章 中国へ渡る

          チャン・チョン・キム著『 一陣の埃風』 **************** 第9章 中国へ渡る  ハノイでフランス人とベト・ミンの行動を見て居た私は、これは遠からぬうちに必ず大きな衝突が起こるだろうと思った。一旦戦火が開けば、石も玉も溶けてしまう、そんな中で生活するなど無理な話だ。一方はベト・ミンでもう一方はフランス軍、だが戦争になれば区別など付かぬ。かと云って、何処へも行く宛てが無かった。そんな頃、顔見知りの国民党員達が私に言うことには、  「支那の国内には、我党が設立

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          チャン・チョン・キム著『 Một cơn gió bụi(一陣の埃風)』⑦第9章 中国へ渡る

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          チャン・チョン・キム著『 Một cơn gió bụi(一陣の埃風)』⑥第7章 共産党の理念と行動 / 第8章 ベトナム政府とフランスとの交渉

          チャン・チョン・キム著『 一陣の埃風』 **************** 第7章 共産党の理念と行動  共産党とは、その組織と行動の手法から見れば新興の一宗教と云えるだろう。迷信と信仰に基づく既存の古い宗教と同じで、懐疑を抱いたり逸脱する事は許されない。しかし、古い宗教には天国や極楽浄土の教えがあるが、今日の共産教は完全なる唯物論、要するに物質的なこと以外には何の信条も無く、天国はあの世に在るのではなくこの世に存在する。この宗教の信奉者は、マルクス・レーニン理論を絶対視

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          チャン・チョン・キム著『 Một cơn gió bụi(一陣の埃風)』⑥第7章 共産党の理念と行動 / 第8章 ベトナム政府とフランスとの交渉

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          チャン・チョン・キム著『 Một cơn gió bụi(一陣の埃風)』⑤第5章 ハノイへ / 第6章 ベトナム政府と国内情勢

          チャン・チョン・キム著『 一陣の埃風』 **************** 第5章 ハノイへ  陽暦1月末、午後7時に車で出発し、ドン・ハで一泊した。翌朝にゲ省へ到着し甥っ子の家で休憩し、翌日昼にはタイン・ホア着。そして、その翌日にハノイに到着した。道中は天候に恵まれたが、ザィン川の渡し場に着いた時は、川幅が広い上に強風による高波が出ていた。渡し場の傍に、車を乗せて筏を牽引する小型船が目に入ったので、「この船は動きますか?」と尋ねると、「燃料切れだ。」と言うので、「どこか

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          チャン・チョン・キム著『 Một cơn gió bụi(一陣の埃風)』⑤第5章 ハノイへ / 第6章 ベトナム政府と国内情勢

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          チャン・チョン・キム著『 Một cơn gió bụi(一陣の埃風)』④ 第4章 フエ新政府樹立2/2

          チャン・チョン・キム著『 一陣の埃風』 ****************

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          チャン・チョン・キム著『 Một cơn gió bụi(一陣の埃風)』④ 第4章 フエ新政府樹立2/2

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          チャン・チョン・キム著『 Một cơn gió bụi(一陣の埃風)』③ 第4章 フエ新政府樹立1/2

          チャン・チョン・キム著『 一陣の埃風)』 ****************   第4章 フエ新政府樹立

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          チャン・チョン・キム著『 Một cơn gió bụi(一陣の埃風)』③ 第4章 フエ新政府樹立1/2

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          チャン・チョン・キム著『 Một cơn gió bụi(一陣の埃風)』② 第3章 バンコク、そしてサイゴンへ帰還

          チャン・チョン・キム著『 一陣の埃風)』 **************** 第3章 バンコク、そしてサイゴンへ帰還

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          チャン・チョン・キム著『 Một cơn gió bụi(一陣の埃風)』② 第3章 バンコク、そしてサイゴンへ帰還

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          チャン・チョン・キム著『 Một cơn gió bụi(一陣の埃風)』① 第1章 無為と静寂の日々/ 第2章 シンガポールへ

          第1章 無為と静寂の日々  植民地中学と師範学校、北圻の清荏(タイン・チャ)小学校で教員を務め、その後ハノイの南(ナム)小学校で監督長を務めるなど、31年間教育界に身を置いた後で1942年に漸く定年退職した私は、これでやっと老後の余生を静かに過ごせるとほっとしていた。何故なら、この時代は国に艱難多く、世間は卑劣と偏見で溢れており、心から楽しみを感じることなど無い日々で、蔵書に埋もれて本の虫になる時間だけが唯一の気分転換だったのだ。多難の上に息苦しさを感じる空気が醸

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          チャン・チョン・キム著『 Một cơn gió bụi(一陣の埃風)』① 第1章 無為と静寂の日々/ 第2章 シンガポールへ

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          Trần Trọng Kim(チャン・チョン・キム、陳仲淦)著『 Một cơn gió bụi(一陣の埃風)』全文邦訳の投稿

           1945年3月9日の在仏領インドシナ日本軍による軍事クーデター『仏印武力処理』(通称明(マ)号作戦)。  私個人的には、日越近代史上の超・重大事件だと思うんですが、戦後日本では、完全にスルー。。(笑)😅  現地日本軍とベトナム人民一致団結で『マ号作戦』は大成功し、フランスをねじ伏せた日本軍は軍政を引かず、インドシナ3国(ベトナム・ラオス・カンボジア)を植民地から解放し独立させてしまったという史実は、やはりGHQ様の意に沿わなかった模様。。。当然か。   『明(マ)号作戦

          Trần Trọng Kim(チャン・チョン・キム、陳仲淦)著『 Một cơn gió bụi(一陣の埃風)』全文邦訳の投稿

          1924年7月 仏領インドシナ総督メルラン襲撃事件 -『ベトナム国民党沙面炒弾案声明文』全文

           ベトナム独立運動家ファン・ボイ・チャウの自伝『自判』㉒最終章中に、仏領インドシナ総督メルラン襲撃事件の詳細が書かれた『烈士范鴻泰(ファム・ホン・タイ)』の項があります。  この、『仏領インドシナ総督メルラン襲撃事件』に関しては、以前に詳細を記事に挙げてありますので、宜しければご一読お願いします。  この事件に関して、『自判』にはこう書かれています。⇩  「20日、ホン・タイ烈士の死体が川から引き揚げられた。現地で葬儀が執り行われ、墓地に埋葬された。私は、後にこの事件に

          1924年7月 仏領インドシナ総督メルラン襲撃事件 -『ベトナム国民党沙面炒弾案声明文』全文

          潘佩珠(ファン・ボイ・チャウ)自伝『自判』から想う 『日本の周師太』-- 筑前の高場乱(たかば おさむ)のこと

           7月7月に自費出版したファン・ボイ・チャウ自伝『自判』(⇒ベトナム革命志士 潘佩珠 ファン・ボイ・チャウ自伝 自判)を、ここnoteに投稿してから早1カ月になります。予想より大変沢山の方に読んで頂けたので嬉しいです。  是非、周囲の、特にベトナムの若い方に教えてあげて下さいませんか。😊    何故なら、最近のベトナムの若者は、ホーおじさん前の近代史、特にクオン・デ候やファン・ボイ・チャウ、ドンズー運動のことなど、その名を知るのみで抗仏史詳細を能く知らない傾向にあります。今の

          潘佩珠(ファン・ボイ・チャウ)自伝『自判』から想う 『日本の周師太』-- 筑前の高場乱(たかば おさむ)のこと

          海軍航空隊隊内鎮守だった『鳥船神社』…。そもそも『トリフネ』って何でしょうか。😊

           私の出身地は神奈川県😅でして、毎年夏休みに2週間程実家へ帰省しますが、時たま電車で行ける範囲で山に登ったりハイキングコースを歩いたりしてます。  以前、横浜金沢区富岡周辺を歩いたことがあります。富岡には『富岡総合公園』がありますが、こんな所です。⇩  「昭和11年(1936)に開隊された『横濱海軍航空隊』は、飛行艇専門の航空隊で『九十七式』や『二式大艇』などの飛行艇が配備されていました。戦後、敷地は米軍に接収され、返還の後にその大半は、富岡総合公園になりました。」    

          海軍航空隊隊内鎮守だった『鳥船神社』…。そもそも『トリフネ』って何でしょうか。😊