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『我々は、大日本国が我々を解放してくれたというこの恩を、絶対に忘れてはならない。』‐1945年4月チャン・チョン・キム内閣宣告文
前回まで、1945年3月9日の日本軍による『仏印武力処理』通称『明(マ)号作戦』後に、フランスから独立したベトナムによる初めての独立政権の首相を務めた、儒教研究家で教育家のチャン・チョン・キム氏の回顧録『 一陣の埃風』邦訳を9回に分けて投稿しました。 投稿開始後、第6章くらいまではあまりビュー数が伸びず、やっぱり日本人にとってファン・ボイ・チャウのようなネーム・バリューが無いので読んでくれる人も少ないわ。。と思っておりましたら、第7章からいきなりビュー数が伸びました。
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チャン・チョン・キム著『 Một cơn gió bụi(一陣の埃風)』⑥第7章 共産党の理念と行動 / 第8章 ベトナム政府とフランスとの交渉
チャン・チョン・キム著『 一陣の埃風』 **************** 第7章 共産党の理念と行動 共産党とは、その組織と行動の手法から見れば新興の一宗教と云えるだろう。迷信と信仰に基づく既存の古い宗教と同じで、懐疑を抱いたり逸脱する事は許されない。しかし、古い宗教には天国や極楽浄土の教えがあるが、今日の共産教は完全なる唯物論、要するに物質的なこと以外には何の信条も無く、天国はあの世に在るのではなくこの世に存在する。この宗教の信奉者は、マルクス・レーニン理論を絶対視
¥100チャン・チョン・キム著『 Một cơn gió bụi(一陣の埃風)』⑤第5章 ハノイへ / 第6章 ベトナム政府と国内情勢
チャン・チョン・キム著『 一陣の埃風』 **************** 第5章 ハノイへ 陽暦1月末、午後7時に車で出発し、ドン・ハで一泊した。翌朝にゲ省へ到着し甥っ子の家で休憩し、翌日昼にはタイン・ホア着。そして、その翌日にハノイに到着した。道中は天候に恵まれたが、ザィン川の渡し場に着いた時は、川幅が広い上に強風による高波が出ていた。渡し場の傍に、車を乗せて筏を牽引する小型船が目に入ったので、「この船は動きますか?」と尋ねると、「燃料切れだ。」と言うので、「どこか
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チャン・チョン・キム著『 Một cơn gió bụi(一陣の埃風)』① 第1章 無為と静寂の日々/ 第2章 シンガポールへ
第1章 無為と静寂の日々 植民地中学と師範学校、北圻の清荏(タイン・チャ)小学校で教員を務め、その後ハノイの南(ナム)小学校で監督長を務めるなど、31年間教育界に身を置いた後で1942年に漸く定年退職した私は、これでやっと老後の余生を静かに過ごせるとほっとしていた。何故なら、この時代は国に艱難多く、世間は卑劣と偏見で溢れており、心から楽しみを感じることなど無い日々で、蔵書に埋もれて本の虫になる時間だけが唯一の気分転換だったのだ。多難の上に息苦しさを感じる空気が醸
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