「安南民族運動史」(4)
「明治36年の頃になって漸く様々な中心が結成せられ。ほぼ二つの党派が均しく祖国復興を志して組織せられた。
一には北圻勤王党でその党首は黄花探(ホアン・ホア・タム)将軍である。この将軍は阮碧公の遺鉢を継ぎ北圻すなわち北部越南及びトンキンを勢力として頑強に抵抗し、フランスも遂に屈して妥協を試み、将軍に広大な土地を与えて辛うじて事無きを得ていたのである。この党派は旧越南王国の遺臣の集まりであるだけに、中心人物の多くは支那文化に哺まれた保守思想に生きる豪傑で、その戦法も直接行動に