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安南民族運動史

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昭和16年発刊の大岩誠氏著『安南民族運動史概説』の内容を抜粋してご紹介しています。
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記事一覧

1924年7月 仏領インドシナ総督メルラン襲撃事件 -『ベトナム国民党沙面炒弾案…

 ベトナム独立運動家ファン・ボイ・チャウの自伝『自判』㉒最終章中に、仏領インドシナ総督メ…

何祐子
2か月前
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マキアヴェㇽリ 『マンドラゴラ』

 明けましておめでとうございます。2023年初めての投稿です。本年も宜しくお願い致します…

何祐子
1年前
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『安南民族運動史』(10) ~ベトナム人を覚醒した日露戦役-日本の勝利~

  安南民族運動史|何祐子|note 『安南民族運動史』(9)~仏印進駐の頃のベトナム~|何…

何祐子
1年前
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1926年設立 ベトナム独特の新宗-高臺(カオ・ダイ) その(1)

  これまで、『安南民族運動史概説』(昭和16年、大岩誠著)を何回かに分けてお伝えしまし…

何祐子
1年前
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『安南民族運動史』(9)~仏印進駐の頃のベトナム~

 南アジアの民族の運命は、今や一日も看過すべからざるものとなった。西洋の圧抑に喘ぎつつも…

何祐子
1年前
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『安南民族運動史』(8) ~ベトナム共産党の活動~

 大正13年、モスクワのコミンテルンはアジア騒乱の陣容を整えて活動を開始した。ここでは極…

何祐子
1年前
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「安南民族運動史」(7)~ベトナム略史・呉朝からフランス東侵まで~

 唐の末、わが(日本皇紀)1599年(939)に、呉權(ゴ・クエン、Ngô Quyền)は独立の旗を翻して支那の覇絆を脱し、初めて南越に国民国家を建設した。その後、南越王朝は丁(ディン)、前黎(レ)など、1,2代で倒れる王家が続いたが、1669年(1009)李太祖が起こって李朝を創めるに至って越南国の国礎は固まった。 ********************* (大岩誠先生の「越南民族運動史概説」は、年代は皇紀です。。😅)  その(6)から続き、ベトナム略史です。  中国

「安南民族運動史」(6) ~ベトナム略史・古代から徴(チュン)姉妹まで~

 大岩誠先生著『安南民族運動史概説』のベトナム略史を抜粋して、所々で他書史料や解説を入れ…

何祐子
1年前
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「安南民族運動史」(5) ~安沛(イエン・バイ)事件~

 大岩誠氏の『安南民族運動概説』の序文に、大岩氏がベトナムの民族運動に興味を持ったきっか…

何祐子
1年前
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「安南民族運動史」(4) 〜抗仏勤王党の結成と始動〜 (再)

 明治36年の頃になって漸く様々な中心が結成せられ、ほぼ二つの党派が均しく祖国復興を志し…

何祐子
1年前
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「安南民族運動史」(3) 〜ベトナム民族の反抗運動激化〜 (再)

 明治21年、ハム・ギ帝は敗れて捕られ、アフリカの仏植民地アルジェリアに流されてしまった…

何祐子
1年前
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「安南民族運動史」(2) 〜勤王志士による攘夷決起〜 (再)

   ここに注意すべきことは、フランスの援軍が来る前に既に南部地方、越南人の所謂「南圻(ナ…

何祐子
1年前
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「安南民族運動史」(1) 〜阮(グエン)朝の成立頃〜 (再)

 大岩誠氏の『安南民族運動史概説』という昭和16年発行の本があります。文章が簡潔明瞭で読…

何祐子
1年前
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「安南民族運動史」(4)

 「明治36年の頃になって漸く様々な中心が結成せられ。ほぼ二つの党派が均しく祖国復興を志して組織せられた。  一には北圻勤王党でその党首は黄花探(ホアン・ホア・タム)将軍である。この将軍は阮碧公の遺鉢を継ぎ北圻すなわち北部越南及びトンキンを勢力として頑強に抵抗し、フランスも遂に屈して妥協を試み、将軍に広大な土地を与えて辛うじて事無きを得ていたのである。この党派は旧越南王国の遺臣の集まりであるだけに、中心人物の多くは支那文化に哺まれた保守思想に生きる豪傑で、その戦法も直接行動に