Trần Trọng Kim(チャン・チョン・キム、陳仲淦)著『 Một cơn gió bụi(一陣の埃風)』全文邦訳の投稿
1945年3月9日の在仏領インドシナ日本軍による軍事クーデター『仏印武力処理』(通称明(マ)号作戦)。
私個人的には、日越近代史上の超・重大事件だと思うんですが、戦後日本では、完全にスルー。。(笑)😅
現地日本軍とベトナム人民一致団結で『マ号作戦』は大成功し、フランスをねじ伏せた日本軍は軍政を引かず、インドシナ3国(ベトナム・ラオス・カンボジア)を植民地から解放し独立させてしまったという史実は、やはりGHQ様の意に沿わなかった模様。。。当然か。
『明(マ)号作戦』のことは以前こちら⇒『仏領インドシナ(ベトナム・ラオス・カンボジア)で起こった軍事クーデター、通称「明(マ)号作戦」のこと その(1)』に投稿しました。
そして、その後の4月17日にバオ・ダイ帝が組閣し成立した『ベトナム帝国』の経緯がこちら⇒『1945年4月誕生 独立ベトナム内閣政府』になります。
この、独立後初の自主政権の首相に就任したのが、陳仲淦(チャン・チョン・キム)氏です。私のNOTEではもうお馴染みの、教育・儒教研究家でありベトナム史上の大ベストセラー歴史本『越南史略(Việt Nam Sử Lược)』の編者でもあったキム氏ですが、定年退職後にハノイの自宅でのんびりしていた日々が急転し、日本軍の庇護の元で独立政府の首相に任命されました。しかし、広島・長崎の原爆投下により日本が無条件降伏したことで、この政権も短命に終わったのでしたが、、キム氏は、この首相就任直前から解任後までの”波瀾の記録”を回顧録に克明に書き残してます。
その題名が『 Một cơn gió bụi(モッ・コン・ゾー・ブイ)』。
この邦訳は過去に創価大学アジア研究センターによる訳文が存在しますが、特定の大学図書館ソースなどにアクセスせねばならず一般人には結構面倒です。なので、ネットで簡単に入手できるベトナム語版を読み、ついでに一気に全文翻訳してしまいました。(←『自判』翻訳の勢いが継続中。🤣)
創大アジアの邦題は『風塵の最中に』ですが、これはベトナム語本文を読めば判りますが、キム氏は在仏印日本軍のことを、”人畜無害の老人の私へ突然吹き付け、そして去って行った風塵” に例えてます。😅😅 ですので私の邦題は『一陣の埃風』にしました。要するに、『一陣の埃風=日本軍』という意味です…(笑)
敗戦と同時に連合国メディアによる汚名を被った日本にとっては、実は非常に重要な回顧録であり、その邦訳本が単に学術研究分野の中に戦後79年も埋もれたままでは勿体ない。それに、もしこの本がこれまできちんと日本側で研究されて居たら、キム氏に被せられた『日本軍の傀儡首相』の汚名も避けられたのではないかと思うと残念でならないです。
この翻訳は年内には自費出版するつもりですが、ファン・ボイ・チャウ『自判』と同じく、NOTEで期限付きで無料公開します。1945年~のベトナムで何があったのか。。。日本軍の皆サマは、一体何をやっていたのか。。😅😅 やっと、バレる時が来た。。(笑)
真面目で正直の塊の様な、教育家で儒教家のキム氏が書き遺した内容は、巷に溢れる数々の回顧録や自伝の中で、100%疑心暗鬼を解いて読むことの出来る、希少な、”信じられる”史料です。
キム氏の『一陣の埃風』の中には、あの時期に仏印進駐していた日本軍や政府の方々のお名前もちらほら出て来ます。検索すると、それら中には戦後かなり時間が経過してから、ご自身の自伝的な回顧録を書いている方がいらっしゃいますケド。。。
えーと、、キム氏の内容とハッキリ言って一致しません。。(わー💦)😅😅
”まあ、どうせベトナム人がベトナム語で書いたんだから、将来でも絶対に日本人にバレる訳ないさ、、、”とでも、魔が刺したのか、、
自身の行動の大義名分や、成功&失敗の数々を我田引水的に結構”モッている”んだな、、、と、大日本帝国軍の立派な肩書を持っていた方々が繰り出す戦後の後だしジャンケン、、、😅😅
その比較考察もいつか纏めて記事にしたいと思っていますが、
取敢えず、次回から、チャン・チョン・キム氏著『 Một cơn gió bụi(モッ・コン・ゾー・ブイ)』(邦題『一陣の埃風』)を順次投稿しますので、是非お読み頂けたら幸いです。
真実の日越史への活発な議論が、両国の若い方々の中から開始されることを願って止みません。😌
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