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大東亜戦争とベトナム

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戦前の我が日本国と、フランス領植民地だった仏領インドシナーベトナムの間にあった過去の出来事を掘り起こしてます。ここでは、主に大東亜戦争に関連するものをまとめてます。
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記事一覧

グエン朝第8代皇帝・ハムギ帝と画家藤田嗣治(ふじた つぐはる)

 戦後の日本では全然忘れ去られてますけど、、、  ベトナムは、1945年までは帝政国家で…

何祐子
1か月前
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ホー・チ・ミン氏とは、結局一体誰? 続・続編 ~べト・ミンを追え!😅の巻~

ホー・チ・ミン氏とは、結局一体誰?・続編 ~ホーおじさんのコミンテルン人脈を探る!~  …

何祐子
1か月前
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ベトナム志士らが愛した三島由紀夫(みしま ゆきお)文学

  遅ればせながら明けましておめでとうございます。  2024年初めて投稿します。  本当…

何祐子
3か月前
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30年前のハノイ滞在の想い出と私の備忘録😅

 記憶は芋づる式になっているのか、最近ふとあれこれ昔のことを思い出します。  再び30年…

何祐子
4か月前
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昭和政党政治の腐敗-松岡洋右の政党解消運動

 最近日本のニュースでは、連日に亘って日本政治家と派閥政治の腐敗が報道されていますね。金…

何祐子
4か月前
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25年前ベトナム鉄道一人旅の想い出 ~ホーチミン-ハノイ線、ハノイ-ラオカイ線~

 先日の「30年前のベトナム・ダナンの想い出と私の忘備録😅」に続き、またまた思い出した、…

何祐子
5か月前
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30年前のベトナム・ダナンの想い出と私の備忘録😅

 ベトナム中部の都市『ダ・ナン(Đà Nẵng)』は、海岸に中々複雑な波が出るスポットがあってベトナム戦争頃の米軍兵士の休暇先として人気があり、束の間の休息日にサーフィンを楽しむ若い米兵の姿が多く見えたそうです。 (上⇧に張り付けたのは、昭和16年発行の満鉄東亜経済調査局刊叢書・改訂仏領印度支那篇の附録地図。地図上に見るTAURANE(ツーラン、都朗)がダナンの昔の呼び名ですね。)  ベトナム・ダナン在住そんちゃー君さんの風景写真が、撮影技術の高さもあり素晴らしく綺麗でおす

大川周明先生が語る 将軍石原莞爾(いしわら かんじ)の最期

 いつも常に、”ベトナム”の文字を探しながら古書を捲っていると、思いがけなく意外な文章を…

何祐子
6か月前
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ホー・チ・ミン氏とは、結局一体誰?・続編 ~ホーおじさんのコミンテルン人脈を探る…

 先日、こちらの記事⇒ホー・チ・ミン氏とは、結局一体誰?①で、『ベトナム革命の父』と呼ば…

何祐子
6か月前
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日本敗戦-『ベトナム現地に残った日本人残留兵たち』-様々な人間模様・おまけ

日本敗戦-『ベトナム現地に残った日本人残留兵たち』-様々な人間模様②  その①で、日本敗…

何祐子
6か月前
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日本敗戦-『ベトナム現地に残った日本人残留兵たち』-様々な人間模様②

 「日本敗戦-『ベトナム現地に残った日本人残留兵たち』-様々な人間模様①」からの続きです…

何祐子
6か月前
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日本敗戦-『ベトナム現地に残った日本人残留兵たち』-様々な人間模様①

 日本一般国民に、近くて遠い国・ベトナム…。😅   戦後は日本政府もベトナム政府も、何か…

何祐子
6か月前
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ホー・チ・ミン氏とは、結局一体誰?①

 今日は、1975年以降のベトナム人社会最大の”タブー”、ホーおじさん=ホー・チ・ミン(…

何祐子
9か月前
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ホー・チ・ミン氏とは、結局一体誰?②

 ホー・チ・ミン氏とは、結局一体誰?①からの続きです。  1945年3月9日の日本軍による武力処理(=軍事クーデター)『明(マ)号作戦』成功後、グエン朝バオ・ダイ帝は『独立宣言』を発布しました。そのバオ・ダイ帝新内閣の首相に就任したのが歴史家の陳仲淦(チャン・チョン・キム)です。  就任後、北部地方で『べト・ミン=ベトナム独立同盟』という団体が反日暴動を煽っているというので、キム首相はハノイへ飛びました。現地で得た情報がこちら。⇩  「…阮愛国は、”香港の獄で死亡”という