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【百年ニュース】1920(大正9)6月26日(土)施存統が東京に到着。施は戴季陶に心酔し,勧めに従い日本留学を決意。また当時肺を患っておりその療養も目的。東京到着後すぐに宮崎滔天宅(北豊島郡高田村,現目白駅付近)へ。滔天の長男宮崎龍介は施を到着当日病院に連れていった。

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宮崎龍介は当時東京帝大法学部学生で雑誌『解放』(大鐙閣)主筆。大鐙閣から柳原白蓮の戯曲『指鬘外道』が出版される際、本来は同社文芸部門担当山崎一郎が白蓮の住む福岡を訪れるはずが、たまたま九州出身の宮崎龍介が派遣され、白蓮と出会う。そして4月以降逢瀬を重ねていた。

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