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子の為に靴下のやれつくろはむ暇ある日の嬉しきこゝろ 柳原白蓮『流轉』

1年前

【百年ニュース】1921(大正10)8月20日(土) 伊藤燁子(柳原白蓮)著『白蓮自選歌集』発行。白蓮は宮崎龍介と逢瀬を重ねていたが,この頃京都で龍介の子(長男香織)を身籠った。白蓮は夫の伊藤伝右衛門のもとを出奔する決意を固め,龍介と共に家出決行のための周到な準備を開始した。

【百年ニュース】1921(大正10)10月20日(木) 伊藤燁子(柳原白蓮)失踪。福岡に帰る夫伊藤伝右衛門を東京駅で見送ると,白蓮はそのまま宮崎龍介の宿に向かった。2日後に朝日新聞に失踪を伝えるスクープ記事が出て,次いで翌日には公開絶縁状が掲載され世間にセンセーションを起こす。

【百年ニュース】1920(大正9)6月26日(土)施存統が東京に到着。施は戴季陶に心酔し,勧めに従い日本留学を決意。また当時肺を患っておりその療養も目的。東京到着後すぐに宮崎滔天宅(北豊島郡高田村,現目白駅付近)へ。滔天の長男宮崎龍介は施を到着当日病院に連れていった。