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子の為に靴下のやれつくろはむ暇ある日の嬉しきこゝろ 柳原白蓮『流轉』

この人は、時おり ぞっとするほど寂しい顔をしている。
ほっておけなくなる。そんな顔。

生まれてすぐに母から離され1才で里子に出される。
3才の時に母は病死。9才で北小路(きたこうじ)家の養女に。
父もこの年に亡くなっている。15才で結婚するも20才で離婚。
そして福岡の伊藤伝右衛門(いとうでんえもん)と見合い結婚をしたのは26才。

宮崎龍介と出会い文通が始まる。
白蓮、35才。

(略)どうぞ 私を私の魂を しつかり 抱いてゝ下さいよ 
(略)覚悟していらつしやいまし こんな怖ろしい女もういや いやですか いやならいやと 早く仰しやい、さあ何とです お返事は?

宮崎竜介への手紙大正9年(1920)5月30日

「魂をしつかり抱いてゝ」と言いながら
「覚悟していらつしやいまし」「いやならいやと 早く仰しやい」
詰め寄られて首に刃物をあてられているような。
去らないかをためす子どものような。
激しい手紙だと思う。

 新人会にも何人か女性はいたし、その他にもいろいろ女性を見ていましたが、燁子のような女性に会ったのははじめてでした。個性というか自分の中に一つしっかりしたものをもっている女性は、当時としては珍しいことでした。私は燁子のもつその個性に次第にひきつけられていくような気がしました。これは私が他の女性に対してもつことのなかった気持でした。

 不思議な女でした。かわいそうなものに対する同情、涙もろさをもつ反面、非常に強い自我をもっていました。反抗心といってもいいものでしょう。何であれ自分の自我を押さえようとするものに対しては、徹底的に反撥するというタイプの女でした。感情面の弱さ、意志的な強さ、この両面が燁子の歌や文章によくあらわれています。燁子の文学的才能は、この相反する二つの性格によってさらに光をましているという気がしました。

柳原白蓮との半世紀(文藝春秋 1967年6月特別号)

恋に生きた女性だと言われている。
確かに出てきているのは恋なのかもしれないが、
個人的には それまでの寂しさや飢餓感が体内から表出する過程のようにも
感じられる。

つづく

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