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51歳の誕生日。

久し振りに投稿します。51歳になりました。家族にお祝いをしてもらいました。いくら年齢を重ねても祝ってもらえるのは嬉しいものです。

仕事も家庭もそれぞれに様々な課題を抱えていながらも、総じて言えばそれなりに順調です。ありがたいことです。世界を見渡せば、また日本の国内においても、思いがけずたいへん困難な毎日を送らざるを得ない人たちがたくさんいます。また歴史を振り返ると、恐ろしい苦しみのなかで生きざるを得なかった時代も多い。それらを思えば、毎日総じて愉快に過ごせることに感謝してもしきれません。

私とちょうど100歳違いで、以前からたいへん気になっている人物がいます。アジア主義者の宮崎滔天です。1871(明治3)年1月生まれ。東京専門学校(早稲田大学)を中退し、1891(明治24)年すなわち20歳のときに初めて中国の上海に渡ります。そして1897(明治30)年に孫文と出会い、生涯にわたり彼を援助し、深い交流を続けました。

亡くなったのは1922(大正11)年12月でした。享年は51歳。腎臓病に起因する尿毒症による病死でした。自分が51歳になって思うのは、やはり若い死であるということです。大正時代と現在では平均寿命が違うものの、自らの死に臨んで、思い残すことも多かったのではないかと想像します。

私の父は、宮崎と同じ腎臓病により47歳で亡くなっています。腎臓の疾患は基本的に遺伝しないようです。毎年人間ドックを受けて健康には注意しているつもりで、今のところは概ね健康を維持できています。

宮崎滔天のような波瀾万丈の人生ではありません。社会に影響を与えたわけでもありません。しかし宮崎の人生に思いを馳せながら、自分なりに、自分に出来る範囲で、これからも日本と世界に少しでも貢献していけたらと思います。

孫文・宮崎滔天両先覚回天記念像


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