「日常を楽しく生きよう」という思想には、僕は明確に反抗したいです。なぜなら、日常を成り立たせている地盤/根拠/条件があって初めて日常という時間が過ごせるからです。いまの「日常」を「安定/安心」に過ごすために、不安定な現象世界を秩序付ける「力」がつねに求められているのです。
最近はあまりnote書けていないのですが、過去の記事がかなり読まれているようです。むしろ投稿直後のときよりも。(さらにフォローしてくださったみなさんありがとうございます🙏🏻) このようなことを踏まえると、僕の死後しばらくたった後も読む値するような言葉を遺していきたいです😁
お久しぶりです🙏🏻 いまは卒論執筆中心の生活を送っています。卒論が終わり次第、また記事の投稿を再開しますので、よろしくお願いいたします🥺 (予告)ベンヤミンの言語論、読書猿『独学大全』という本がおすすめすぎるという話、仏教徒はなぜ自殺しないのか?、科学と仏教と悟り